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みなさま、こんにちは(^^♪
3月中旬、「台湾ツアー旅行3日間」に、シニア夫婦で参加しました。
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「十分」「九份」「士林夜市」「基隆中正公園」「野柳地質公園」「忠烈祠」を観光しました。
次は「中正紀念堂」に行くことになりました。
初めてなので、少し調べて予備知識を得てから向かいました。
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▲4階の前面広場から堂内を見る
「中正紀念堂」とは、どんな建物ですか?
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「中正紀念堂」は、中華民国の初代総統であり、孫文の後継者である「蒋介石」を記念して建てられました。
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「中正」とは「蒋介石」の本名「蒋中正」を指し、亡くなった翌年に着工し1980年に完成しました。
ここは陸軍総司令部があった場所で、当時台北市内で最大の軍事エリアでした。
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蒋介石の銅像は、中国大陸のある西に向かって見つめており、その前での儀仗隊交代式は有名です。
楊卓成氏が設計し、高さ70メートルの白い壁と青い瓦で外観を包み、国旗の2色のメインカラーが象徴されています。
台湾の民主化が進み、広大な敷地は「自由広場」として、民主化運動の集会などに頻繁に使われます。
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台湾の三大観光地は、「故宮博物館」「中正紀念堂」「龍山寺」と言われています。
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▲image孫文さんの像
「孫文」とは、どんな人物ですか?
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孫文(そんぶん、1866〜1925年)は、広東省の農家に生まれ、政治家・革命家・思想家・政治運動家・医師であり、「中国革命の父」と言われています。
孫文は、辛亥革命を起こして清王朝を倒し、中華民国を建国した人物です。
28歳で清打倒を掲げ、亡くなる58歳まで、生涯を革命に捧げました。
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「民族」「民権」「民生」の「三民主義」を提唱し、革命の思想としました。
中華民国では、二千年の専制政体を倒し、中国最初の共和制の創始者として「国父」と呼ばれています。
中華人民共和国でも、「革命の父」として再評価されています。
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弾圧の中、何度も日本に亡命し、多くの日本人の協力者を得て、蒋介石とも日本で知り合いました。
日本では孫文と呼ばれ、中国や台湾では「孫中山(そんちゅうざん)」と呼ばれています。
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▲中正紀念堂の中にある蒋介石さんの銅像
「蒋介石」とは、どんな人物ですか?
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蔣介石(しょうかいせき、チャン・チェシー、1887〜1975年)は、浙江省出身の中華民国の政治家・軍人です。
孫文の後継者として、北伐の完遂により中華民国を統一して1928年から49年まで、同国の最高指導者となりました。
第二次世界大戦後の国共内戦で、毛沢東率いる中国共産党に敗れ、1949年に台湾へ移りました。
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1975年に死去するまで、大陸支配を回復することなく、台湾の国家元首で亡くなりました。
蒋介石は若い頃から日本に留学して軍隊で学び、日中戦争期でも、国家としての日本を敵としましたが、決して日本人を敵とすることはなかったと言われています。
日本や中国では蔣介石と呼ばれますが、台湾では蔣中正(しょうちゅうせい)と呼ばれています。
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▲バス駐車広場から大忠門を見る
「中正紀念堂」の大忠門に入る(体験談)
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ツアーバスを降りて、「大忠門」に向かって歩き、入ります。
門の中に聳え立つ、大きな建造物に驚きました。
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歩いて近づくほどに、巨大な白い城壁に建つ、中華帽子のような厳ついお城に圧倒されました。
奈良の東大寺が46m、古代の出雲大社が48mあると言われますが、時代は違えども70mの石造建造物には驚きました。
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▲中正紀念堂入口の89段の階段を登る人々
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中正紀念堂は、中国・北京にある「天壇」を意識して造られたと聞きました。
「天壇」とは、皇帝が天に向かって祭祀を行う、最も神聖な場所です。
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天に向かって聳える、シンボリックな八角形の屋根には「孫文」が唱えた八徳「忠、孝、仁、愛、信、義、和、平」を表しているそうです。
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▲日本では見られない独特の宮城風の趣があります
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この階段は、蒋介石の享年89歳に合わせて、89段あるそうです。
右上に登っていく、若いカップルが見えます。
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私どもは、高齢の身😢、エレベーターのコースを選びました。
ガイドさんに導かれて、向かって左側の入り口から入りました。
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▲左右の赤瓦が音楽ホールと演劇場のようです
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フロアには、広大な敷地と建物の模型が置いてありました。
ここの敷地総面積は25万m²あり、清朝、日本統治時代ともに軍用地だったそうで、サッカー場が25個くらい入る広さだそうです。
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▲堂内は広く天井は高く多くの人々が入れます
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エレベーター入り口まで歩きました。
豪華で広い廊下が続きます。
天井も柱も壁も、豪華絢爛ではなく、重厚で品の良い綺麗な紋様の装飾が施されています。
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▲天井中心の金の国章は光を放っています
本堂に入り「蒋介石」像の迫力に驚く
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エレベーターで4階に登り、広大な本堂に出て、またまた驚きました。
本堂に鎮座する「蒋介石」のブロンズ像は、高さ6.3mという迫力です!
本堂の面積は約1万5千m²あるそうです。
天井の最上部には、国章である「青天白日」の徽章が描かれています。
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銅像の後ろの壁には「科学、民主、倫理」という蒋介石の政治理念が刻まれています。
そして像の土台には、蒋介石の遺言が記されているそうです。
この本堂は、蒋介石を追悼すると共に、中華民国の国是を表明する場でもあり、建造物には中華思想を明示するアイテムが散りばめられています。
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▲蒋介石さんは大陸の方を見て微笑んでいます
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銅像の左右には、中華民国の国旗「青天白日旗」が掲げられています。
壇の左右の柱にある文章は、蒋介石の直筆を模ったものが飾られています。
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下関の日清講和記念館の李鴻章の直筆も見事でしたが、蒋介石の優しく美しい筆跡にも感動しました。
中正紀念堂のシンボルともいえる、蒋介石の座像が置かれている本堂では、蒋介石の遺品や、蒋介石に関する書物・視聴覚教材が利用できる「中正紀念図書館」も無料で開放されているそうです。
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▲紋様・デザイン・文字・建築材料、共に深い意味があります
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堂内は、「リンカーン記念堂」を模して、壁面の大理石は「リンカーン記念堂」と同じものをアメリカから運んだそうです。
天井のすぐ下の緑の石は、台湾産の翡翠に似た花蓮大理石です。
格天井は48×48cmのスクエアで、「中正」を意味し、台湾ヒノキが使用されています。
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▲直近で見ましたが息づきも感じられませんでした
儀仗隊交代式の緊張感に胸震える
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蒋介石の座像は、帰ることができなかった故郷・中国に向かっているそうです。
私はそれを聞いて、吉野を旅した時の、後醍醐天皇の辞世の句を思い出しました。
「身はたとへ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まん」
後醍醐天皇の墓も、京都の方向である北を向いているそうです。
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お偉い方々の、信念と執念は凄いと思いました。
私だったら、直ぐに諦めてしまうのに!
その蒋介石の銅像を、守るように配置された両サイドの衛兵は、本物の銃剣を持ち微動だにしない姿に、見ている私たちの心も引き締まります。
警護している儀仗隊の衛兵は、1時間ごとに交代の儀式を行います。
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▲忠烈祠の交代式と同様の緊張と動きでした
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「忠烈祠」は直近で見ることができましたが、「中正紀念堂」の交代式な広大な堂内で見学者も多く、また暗いために衛兵さんの表情までハッキリ見えませんでした。
しかし、キビキビした緊張感のある動きと迫力は、多くの見学者に感動を与えました。
国防の現実、平和の現実、紛争の現実を、肌で感じて世界平和を祈らずにはおられませんでした。
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▲お堂前の広場から「自由広場」と掲揚国旗を見ました
文化活動施設が併設される
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本堂の右側に国家戯劇院(オペラハウス)、左側に国家音楽庁(コンサートホール)があります。
戯劇院は、演劇、ダンス、京劇、子供向けプログラムなどの大型公演が頻繁に開催されています。
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音楽ホールは、室内楽や交響曲などの大規模な音楽イベントが催されています。
両ホールの前の広場でも演劇や音楽活動が不定期で催され、多くの観光客が鑑賞に訪れています。
他に公園広場、庭園、池(光華池・雲漢池)なども併設され満喫できます。
「中正紀念堂」基本情報
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▲背後の湧き上がる雲が厳つさを盛り上げました
まとめ
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私たちは「中正紀念堂」に見学に行くので、少し調べて予備知識を得てから向かいました。
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▲衛兵さんは国民を代表して国防を担っているように感じました
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「中正紀念堂」を知るには、蒋介石を知り、蒋介石を知るには孫文を知らなければなりません。
孫文は「辛亥革命」を果たし、2千年続く王朝制を滅ぼし、アジア初の共和制を樹立しました。
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孫文の思想の源に「日露戦争の日本勝利」があると言われています。
漢民族の孫文は、満州民族に植民地化された中国を独立させたいと思ったそうです。
1923年に孫文は、「日本革命(明治維新)は中国革命(辛亥革命)の原因であり、中国革命は日本革命の結果であり、両者は因果で一つに繋がり東アジアの復興を達成する」という意味の発言をしたそうです。
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アヘン戦争、明治維新、辛亥革命、日中・日露戦争、第二次世界大戦、国共内戦が複雑に絡み合い、現在の東アジア情勢があるようです。
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▲中正紀念堂に台湾の政の原点を感じました
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大陸から台湾に蒋介石さんたちが移住したように、大陸・半島から日本列島に太古より様々な理由で人々が移住して混血が繰り返され、東アジアはもともと兄弟姉妹ではないかと思わせられました。
台湾の旅を通して、ご当地の息づく歴史と、生身の人々に直接触れて、深い親しみと一体感を覚えました。
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孫文さん、蒋介石さん、大陸と台湾に住まわれる方々、「中正紀念堂」に関係する皆さま、ありがとうございました。
深謝!深謝!深謝!
この台湾ツアー旅行の「総集編」として、『台湾ツアー旅行おすすめ2泊3日【シニア体験談】添乗員・全観光付き』を、最後に書きました。
内容は下に記しましたので、興味のあられる方はご覧ください。
①「台湾旅行の動機」②「持ち物一覧表」③「携帯海外ローミング」④「両替・チップ」⑤「旅行費用総額260,970円の明細」⑥「観光地・食事の14体験談」⑦「旅行中の徒歩数」⑧「バスの走行距離km」⑨「海外旅行保険加入」
シニア夫婦の、アクシデントや失敗が多々ありましたが満足な旅ができました。
See you(^^♪
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