みなさま、こんにちは(^^♪
3月中旬に、「台湾ツアー旅行3日間」にシニア夫婦として参加しました。
初日は、台北桃園空港から、「十分」「九份」「士林夜市」の観光をしました。
2日目は、ホテルから「基隆中正公園」に向かいました。
「基隆中正公園」とはどんな所か分からないので、下記の内容を事前に確認してから行きました。
この後から、実際に行ってみた体験談をお話しいたします。
「基隆中正公園」とはどんな所ですか?
基隆中正公園は、台湾の基隆市にある公園です。
中正公園の歴史は、日本統治時代の1933年までさかのぼります。
群馬県出身の石坂創作さんが石坂公園として造営し、基隆市に寄贈しました。
この公園は山の上にあり、市街地や港が一望のもとに見渡せます。
戦前は台湾八景の一つで、基隆市で最も美しい景勝地と言われています。
中正公園の頂上にある高さ25メートルの観音像は、東南アジア最大の観音像です。
また、多くの寺院や仏像なども見どころです。
「基隆市」と「基隆港」と日本の関係を教えてください?
台湾は日清講和条約により、日本の植民地となりました。
基隆市は日本に最も近く、台湾の最北端の基隆港に、大半の日本人は上陸し、敗戦後ここから引き上げ帰国しました。
戦前に台湾と関係した日本人であれば、誰でも特別な思いを抱く港町であります。
日本本土と結ばれる「内台航路」の発着地であり、国際交易港としても名を馳せました。
日本統治下、石炭を中心に物流の中心を担った基隆市は、日本から多大な文化的影響を受けました。
基隆は台湾北部最大の港湾都市で、現在も台南の高雄港の次に、貨物取扱量第2位を誇ります。
軍港としても枢要な存在を続け、終戦まで市内全域が要塞化されていました。
「港都・基隆市」の歴史を知りたいです?
「基隆」という地名は、チーロン(台湾華語・北京語)、きいるん(日本語)と呼びます。
台湾の原住民は、基隆を今でも「鶏籠」ケーラン(ホーロー語・台湾語)と呼んでいます。
この地一帯には、台湾原住民・平埔族のケタガラン族の人々が暮らしていました。
明国時代に、台湾南部に居た漢人住民が土地を求めて北上してきました。
そして、先住の人々と幾多の葛藤を繰り返しながら、他方で混血し、この地に定住して行きました。
17世紀には、スペイン・オランダ人の到来があり、18世紀には漢人住民の移住が急増しました。
19世紀に、清朝は英仏をはじめ欧米列強と天津条約を結び、基隆も世界史の中に組み込まれました。
基隆と日本との関係は、古くは倭寇の時代より接点があったと言われています。
統治者としての日本は、1895年の日清講和条約により、台湾が日本の領土となってからが、最初の接触となります。
初代台湾総督の樺山資紀は、基隆沖で清国全権委員の李経芳と台湾授受の会見を行ないました。
港都・基隆市が、本格的な近代的な港として発展を遂げたのは日本統治時代に入ってからであると言われています。
「基隆中正公園」に着く(体験談)
台北のホテルから、バスで30分(30km)で基隆中正公園に着きました。
グルグルと山を登った高台にありました。
正門の両脇には、白い像が守っていました。
「華厳法界」の扁額がかかっており、門内の結界を表しているのでしょうか。
正面上の丸の中や、入り口の門の中に金色の布袋和尚さんが笑顔で迎えてくださいます。
日本ではみたことのない門構えです。
羅漢像と金色の布袋像に迎えられる
門の中に入りますと、18体の羅漢像が両脇で迎えてくださいます。
それぞれの表情が違い、修行者の深い意味があると思われます。
上まで登りきりますと、真正面に最初に会えるのが布袋和尚様の金色の像です。
和尚様の足元に「笑口常開」の文字盤がありますので、「笑う門には福来る」「笑え!笑え!」と仰っているようで、思わず笑ってしまいました。
「長寿鐘楼」の鐘の音を聞く
右側の卍の紋が入った楼閣には「長寿鐘楼」と記してあり、立派な鐘が吊るしてありました。
ガイドさんが「100元(500円)で2回突くことができ、長寿を願うことができるそうですよ」と教えてくれました。
私は、坂道に疲れて鳴らす元気はありません。
アラフォーの女性が名乗りをあげ2回突きました。
鐘は立派で凄いですが、鐘を撞く橦木が貧弱なのか、力が弱いのか、音が今ひとつでした。
しかし遠い国に来て、小さな鐘の音でも聞けると言うことは、大きな長寿の福をいただいたと思い直しました。
ありがとうございました。
白色の大観音像に驚く
ついに、白色の大観音像の御前に立つことができ、感動しました。
1969年に建立され、高さは22,5mあり、基隆市のランドマーク的存在だそうです。
巨大な金色の獅子、2匹に守られて凄い迫力を感じました。
少し憂いを帯びた優しい観音様のお顔と、童顔の獅子の顔から、厳しい歴史を乗り越えてこられた民衆の力強さと優しさと悲しさを感じました。
中正公園「金運スポット」
日本には無い、有名な中正公園「金運スポット」がありました。
上から硬貨を落として、下の八つの手の平に乗せると、それぞれの願いが叶うそうです。
多くの観光客が占っていましたが、10人に1人くらいが乗っていました。
私には順番が回りませんでした。
占いは、若い将来の長い人たちに譲ることにしました。
旧台湾八景の基隆港の全貌を見る
観音様の正面に、台湾八景と言われた基隆港の全貌が、晴天の中開けました。
素晴らしい景色に感動しました。
私の友人が九州の門司港の出身です。
「バナナの叩き売りは門司が発祥の地だ」と言ったので、私は「嘘だろう、横浜か神戸なら分かるけど」と言った覚えがあります。
今回、台湾を旅して、台湾の占領時代の日台の行き来は門司港と基隆港を結ぶ「門基フェリー」があったことを知って、友人の言ったことが正しかったことを知りました。
当時のバナナは「台湾バナナ」と言っていました。
1895年に樺山総督が来て、1945年に終戦までの50年間、多くの日本人が台湾で暮らしました。
ここ基隆港は、日台の交通の要路であり、多くの人々の想いの詰まった港であります。
占領する側もされる側も、歴史に翻弄された人々の悲喜交々の思いを想うと切ない気持ちになります。
当時の引揚者数は、軍人16万人、民間32万人、合計48万人とも言われます。
孫文の弟子である蒋介石総統の「怨みに報いるに徳を以てす」の言葉で、多くの戦地の軍人や民間人が無事に日本に帰還することができました。
大きな大陸的思想に敬意を捧げます。
ここ、基隆港はそんな歴史の渦巻く港町です。
「基隆神社」の跡地「基隆忠烈祠」を見る
次の社殿は、戦前は「基隆神社」であり、現在は「基隆忠烈祠」の社です。
基隆神社は、1912(明治45)年に建立され、祭神には天照皇大神、大国魂命、大己貴命、少彦名命、大物主命、崇徳天皇、北白川宮能久親王を祀っていました。
基隆忠烈祠は、中華民国のために命を捧げた兵士を祀り、中央広場には蒋介石の銅像があり、基隆の町を見下ろしています。
狛犬などは当時のままですが鳥居は無くなり、往時の歴史が忍ばれます。
「大佛禅院」の本殿で参詣する
その横に、「大佛禅院」の本殿があります。
本殿は、ガイドさんが交渉してくださり、中に入れました。
台湾の宗教は仏教、道教、キリスト教があるそうです。
一番多いのが仏教で、4派あるそうです。
こちらは禅という字があります。
臨済宗だそうですが、日本の白隠さんの臨済宗ではなくて、中国の臨済宗直結のお寺の末寺だそうです。
ご本尊様は、千手観世音菩薩様です。
ガイドさんが長いお線香を購入され、ツアー客に一本ずつくださいました。
順番に、ご本尊様にお願いごとをしながら捧げました。
千手観音さまの前で「ポエ占い」を行う
ふと見ると祭壇の横に気になるものを発見しました。
赤い三日月のような形の木片が、二つセットでいくつか置いてあります。
ガイドさんが説明してくださいました。
これは「ポエ」と呼ばれるもので、台湾の人達は何かに悩んだとき、これを使って神様の声を聴くのだそうです。
ポエは、片面が山形に膨らんでいて(凸面・陽面)、もう片面は平ら(陰面)になっています。
二枚貝のように2個合わせて1セットです。
やり方は、ポエ2個を両手で持ち、眉間の前に持ってきて、心の中でまず自分の名前・生年月日・住所を唱えた後、神様に尋ねたいことを質問します。
質問は、YES/NOで答えられるようにするのがポイントだそうです。
そして、2個のポエを地面に放ります。
ポエの1個が凸面(陰面)、もう1個が平面(陽面)の場合は、「YES・よい」です。
最も良い筊(チャウ)で「聖筊」(センチャウ)と言います。
願ったことやお伺いをたてた内容に対して、神様がYESをくださる、あるいは実行しても良いということを表します。
ポエが2個とも凸面(陰面)の場合は、「NO・ダメ」です。
2つとも陰面が上向きだった場合は「笑筊」(シャオチャウ)と言います。
願った内容がハッキリしていない時や、時や縁がまだきていない、あるいは特に神様からの意見はないということを表します。
ポエが2個とも平面(陽面)の場合は、「もう一度やり直し」です。
2つとも陽面が上を向いている時は「陰筊」(インチャウ)と言います。
神様に応じていただけない時や、お伺いを立てたけれどお伺いの内容が良くないことを表していますのでやり直しをします。
このポエ占いで、望まない答えが出たのでやり直しをしたり、出た結果通りに行動しないのは、神様に対して大変失礼にあたるので、絶対にしてはいけないそうです。
台湾、香港などでしばしば見られ、日本でも道教寺院(各地の関帝廟、媽祖廟など)でよく見られます。
中国、台湾では仏教徒でもこの占いを行い、家庭に一つ置いている家もあるそうです。
ガイドさんのサービスで、他のお客さんがいませんでしたので、ツアー客25人が試してみました。
赤いポエを床に転がすと「カランカラ~ン」と木の乾いた音が、あちこちから聞こえてきます。
私は、2人の孫の受験は第一志望が受かりましたので、「家族の健康第一」を願い、一回で「聖筊」が出ました。
夫は「子孫の弥栄」を願い、一回めは「陰筊」、2回目は「聖筊」が出て安心しました。
日本でも、昔の国が安定しないときは、人々の悩みや迷いもあり占いが多かったと思います。
平和が長く続き、生活が安定しているので占いを求める人は、少ないのでは無いかと思います。
台湾の人々に、悩みに即決して行動する占いが流行るには、明日が分からない戦争などの問題もあるのかなと、フッと頭をよぎり「世界平和」を願いました。
千手観音様のお声まで聞くことができるように、丁寧に案内してくださる台湾のツアーガイドさんに感謝しました。
まとめ
「基隆中正公園」とはどんな所か分からないので、下記の内容を事前に確認してから行きました。
日本と台湾、門司港と基隆港は深い関係であることを学びました。
台日の多くの人々の、交流と思いが染み付いた町であることを知り、心が揺さぶられました。
政治的には複雑で厳しい状況ですが、国民同士は皆兄弟です。
千手観音さまの御前で、線香を捧げ「世界平和」を祈り、「ポエ占い」をして個人の幸福を願いました。
平和を願いながら、旅を通して相手を尊敬し、心の交流を図りたいと思います。
基隆市に関係する皆さま、旅をゆるしてくださり感謝いたします。
深謝!深謝!深謝!
この台湾ツアー旅行の「総集編」として、『台湾ツアー旅行おすすめ2泊3日【シニア体験談】添乗員・全観光付き』を、最後に書きました。
内容は下に記しましたので、興味のあられる方はご覧ください。
①「台湾旅行の動機」②「持ち物一覧表」③「携帯海外ローミング」④「両替・チップ」⑤「旅行費用総額260,970円の明細」⑥「観光地・食事の14体験談」⑦「旅行中の徒歩数」⑧「バスの走行距離km」⑨「海外旅行保険加入」
シニア夫婦の、アクシデントや失敗が多々ありましたが満足な旅ができました。
See you(^^♪
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