みなさま、こんにちは(^^♪
今年も暮れようとしています。
昨年は「第九」のコンサートを聴きに行きました。
今年も行きたいと思っていましたが、夫がチケットを予約してくれました。
現役主婦の時は、年末年始は忙しくてそれどころではありませんでした。
子育ても終わり、夫も退職してシニアになると時間に余裕があり、そのような時間を楽しめるのは幸せなことです。
街は寒波が来て、ホワイトクリスマスの様相を呈しています。
クラシックについては素人なので「第九」のスケールに感動しますが、深い意味は分かりません。
楽しむに当たって、最低限は知っておきたいなと思いました。
このようなことを調べましたので、簡潔に記します。
「第九」(だいく)とは、どんな曲だろうか?
「交響曲第9番ニ短調作品125合唱付き」は、ベートーヴェンが1824年に作曲した9番目にして最後の交響曲です。
日本では「第九」と略称して呼ばれ、その演奏会は年末の風物詩となっています。
「第九」は、ベートーヴェンの最高傑作であり、西洋音楽史上最も優れた作品の1つになっています。
第4楽章は、独唱および合唱と共に演奏され、旋律は有名な「歓喜の歌(喜びの歌)」で、シラーの詩「歓喜に寄す」から3分の1ほど抜粋し、一部をベートーヴェンが編集して曲をつけました。
「第九」の特徴として、革新的な先進性、思想表現としての音楽、交響曲で初めて声楽を導入されたことがあげられます。
ベートーベンの自筆譜は、ユネスコ記憶遺産リストに登録され、第4楽章の「歓喜」は、ヨーロッパ全体をたたえる「欧州の歌」としてEUで採択されました。
「ベートーヴェン」とはどんな人ですか?
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)は、ドイツの作曲家でありピアニストです。
音楽家の父と、宮廷料理人の娘の母との間の次男に生まれた。
母を亡くし、酒飲みの父の下、貧乏な中で弟たちの面倒を見ながら、音楽の才能を開花させました。
40歳頃には全聾となり、さらに持病にも苦しめられました。
そして、家族の問題を抱えた苦悩の中で書き上げた「交響曲第9番」や「ミサ・ソレムニス」といった大作、またピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は、未曾有の高さを誇るものでした。
晩年は様々な病に侵され、死期を悟って遺書をしたためました。
病床の中で10番目の交響曲に着手するも、未完成のまま波乱に満ちた生涯を閉じました。
56歳没、その葬儀には、シューベルトを始め2万人もの参列者がありました。
音楽史では極めて重要な作曲家で、その作品は古典派音楽の集大成と言われ、ロマン派音楽の先駆者として後世に多大な影響を与え、日本では「楽聖」と呼ばれています。
「シラー」とはどんな人ですか?
ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(1759〜1805)は、ゲーテと並ぶドイツ古典主義の代表者であり、詩人、歴史学者、劇作家、思想家です。
独自の理想主義、英雄主義、自由を求める不屈の精神が作品のテーマでした。
シラーの「自由」はドイツ国民の精神生活に大きな影響を与えました。
詩人として、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の原詞で最もよく知られるようになりました。
シラーの詩は、精緻かつ優美であり、「ドイツ詩の手本」として現在も教科書に用いられ、生徒らによって暗誦されています。
「第九」のできた背景は?
フランス革命からわずか3年後の1792年、22歳のベートーヴェンは、シラーの詩「歓喜に寄せて」と出合い、深く感動しました。
この「歓喜の歌」は、自由を喜び、平等を歌う詩でした。
王様も庶民もみな同じ立場の人間である、だれもが平等であることを伝える詩だったのです。
ベートーヴェンは生涯を通じてこの詩を愛し、曲を付けたいと心に秘め、約30年後の晩年54歳の時に完成して初演されました。
フランス革命により、主役が王侯貴族から市民に変わる時代を迎えました。
心踊らせたベートーヴェンは、王侯や教会のために作られた音楽から離れ、市民のための生き生きとしたドラマティックな曲を多数生み出していきました。
大規模な楽曲シンフォニーと言われる、交響曲第3番「英雄」、交響曲第5番「運命」、交響曲第6番「田園」と、名作が揃う交響曲のジャンルの集大成とも言えるのが最後の交響曲「第九」です。
なぜ「第九」は年末に演奏されるのかな?
第九の公演は、歴史的に見ますと、戦争や災害などの多くの人々の深い悲しみの社会を「歓喜」の歌で勇気を呼び起こそうとしているように思われます。
日本も戦後の艱難の中で、美空ひばりさん達が明るい希望に溢れた歌で庶民を元気付けました。
もともと年末に「第九」が公演されたのは1918年のことです。
第一次世界大戦が終わり、悲しみの中で平和を願う声が高まり、ドイツのライプツィヒで始まりました。
現在でも、名門オーケストラであるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が、毎年の大晦日の17時に「第九」を演奏し続けておられるそうです。
日本では第二次世界大戦後の1947年12月に、日本交響楽団が「第九コンサート」を行って絶賛され、年末に「第九」を演奏する習慣が始まりました。
そして戦後の混乱と貧困の中、プロのオーケストラやアマチュア合唱団が「第九」を歌い始め、臨時収入が入りました。
団員の家族や友人たちが駆けつけ、チケットが完売したことなどが功を奏し、年末の「第九」が完全に定着したと言われています。
福岡シンフォニーに入場する(体験談)
息子の職場が「アクロス福岡」の中にありましたので、私たちは以前から時々コンサートに遠出をしておりました。
14:45ごろに会場に着きました。
S席の中央の右側の席に座りました。
15:00になり開会の音楽が流れました。
客席はほぼ満席でした。
老若男女「第九」ファンが、熱気に溢れていました。
九響合唱団始め7合唱団から131名が、拍手と共に入場して来られました。
次いでコンサートマスター始め演奏者が64名、大きな拍手で迎えられました。
そして指揮者の広上淳一さんを迎えると拍手は最高潮になりました。
広上淳一さんは東京都出身、64歳であり、東京音楽大学指揮科教授、京都市交響楽団常任指揮者など多くの海外経験や音楽経歴の持ち主です。
広上さんの指揮を見て私は驚いてしまいました。
失礼ですが「マリオがキレの良いダンスをして指差しながら指揮」をしているようでした。
小柄な体で本番の指揮台の上で「ぴょんぴょん」跳ねながら指さす姿がとてもユニークです。
キングダムの女剣士「キョウカイ」は、クルクルと回って剣を振り回す無敵のキャラクターを持ちますが、同じような迫力を感じました。
もっと前で見てみたかったです。
経歴を見ましたら、正義感が強くて、ユニークで情熱的で心優しい「庶民代表の指揮者」という親しみやすいキャラクターでした。
年末の総仕上げの時期に、広上さんの指揮を見たことはとても幸運でした。
第一楽章が始まりました
繊細で断片的な音律と共に、爆発的な嵐のようにドラマティックで美しい音楽が奏でられました。
大曲の「第九」に相応しい壮大な堂々とした音楽が繰り広げられました。
時間は15分ほどでした。
神々の豪快なダンスを思わせる第二楽章は、テンポの速いリズミカルな音楽を主役であるティンパニが暴れまくり「歓喜」の雰囲気が少し現れてきました。
やはり時間は15分でした。
全世界を調和したような音楽の第三楽章は、ゆったりとした美しい音が折れ重なり、陶酔感が漂いますが、金管楽器によるファンファーレが全体に鳴り響き、敬虔な神への賛美を表すようでした。
時間は16分かかりました。
いよいよ第四楽章に入ります
新時代へ向かって壁を突き破る第四楽章は、「恐怖のファンファーレ」で始まります。
その響きを受け、バリトンにより「おぉ、友よ、このような音ではない!」と歌われます。
1楽章、2楽章、3楽章の音楽が全否定されてしまいます。
「歓喜の歌」の断片が登場すると、「それだ!」という感じでメロディーが低弦により奏でられ始まります。
次第に演奏楽器が増え、新時代への幸せが世界中に広がっていくようです。
第4楽章の最も核心的な箇所は、2/3くらい経過したところでテンポが突然遅くなり、「互いに抱きあえ、諸人よ!全世界の接吻を受けよ!兄弟達よ、星の天幕の上には、愛する父が必ず住みたもう!」と歌われるところです。
そして、ソリストによる独唱と、合唱団の大合唱で波打ちクライマックスを迎え幕を閉じます。
ベートーヴェンの理想である、時空を超えた人類愛や自由などを希求している壮大な交響曲なのだと感じました。
時間は20分ほどかかり、全部で66分ほどでした。
休憩はもちろんありませんでしたが、聴衆は感極まって「ブラボー!!」と叫びました。
感動の高まりと余韻がおさまらず、指揮者、コンサートマスター、演奏者、合唱団メンバーに拍手を惜しみなく送りました。
聴衆は鳴り止まない拍手で熱気と興奮と感動を吐き出し、冷静になり帰途につくことができました。
私も、今年一年の良かったこと、悪かったこと、残念だったこと、悔いの残ったことなどが思い出され、「第九」のコンサートで洗い流していただけました。
ベートーヴェンさん、シラーさん、広上先生、九州交響楽団の皆様、合唱団の皆様、後援者、アクロス福岡の皆様方ありがとうございました。
まとめ
クラシックについては素人なので「第九」を楽しむに当たって、最低限のことを知っておきたいと思いました。
ベートーヴェンが1824年に作曲した9番目にして最後の交響曲です。
日本では「第九」と略称して呼ばれ、その演奏会は年末の風物詩となっています。
ベートーヴェン(1770〜1827)は、ドイツの作曲家でありピアニストです。
音楽史では極めて重要な作曲家で、その作品は古典派音楽の集大成と言われ、ロマン派音楽の先駆者として後世に多大な影響を与え、日本では「楽聖」と呼ばれています。
シラー(1759〜1805)は、ゲーテと並ぶドイツ古典主義の代表者であり、詩人、歴史学者、劇作家、思想家です。
詩人として、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の原詞で最もよく知られるようになりました。
フランス革命からわずか3年後の1792年、22歳のベートーヴェンは、シラーの詩「歓喜に寄せて」と出合い、深く感動しました。
名作が揃う交響曲のジャンルの集大成とも言えるのが最後の交響曲が「第九」です。
第二次世界大戦後の1947年12月に、日本交響楽団が「第九コンサート」を行って絶賛され、年末に「第九」を演奏する習慣が始まりました。
そして戦後の混乱の中、プロのオーケストラやアマチュア合唱団が「第九」を歌い始め、年末の「第九」が完全に定着したと言われています。
20年近く前に「バルトの楽園」という映画を見て感動しました。
ドイツ軍の捕虜が徳島の収容所に投獄されます。
所長の人道的な信念のあるお世話、住民の四国のお遍路さんへの「お接待の心」と、捕虜の真心が結びつき「第九」を演奏するという奇蹟が実現した感動の物語でした。
その時の「第九」の演奏と歌声が耳にこびりついて離れないのです。
ベートーヴェンとシラーの深い結び付きは理解していませんでしたが、音色や歌声の迫力に胸をえぐられるように感動したのです。
音楽は人間の心に深く働きかけます。
讃美歌や読経が人の心を救うのは本当なのでしよう。
それから「第九」のファンになり、時間が空けば時々コンサートに出かけるようになりました。
今年はもう少し「第九」の意味も分かり、演奏と歌声に感動しました。
関わられた皆様に心から感謝いたします。
See you(^^♪
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