みなさま、こんにちは(^^♪
私たちシニア夫婦(70代前半)は、今年の3月下旬、「ロンドン&パリ&モン・サン・ミシェル・4泊7日」ツアーに行きました。
コロナ禍のため、長らく旅を控えていましたが、一昨年は国内の5か所を旅行しました。
昨年は台湾、韓国、ハワイと海外に3か所挑戦しました。
私たち高齢者は、体力がある間しか旅行に行けません。
少しずつ距離と時間を広げて、念願であった「欧州」に旅行ができ、素晴らしい思い出の財産を作りました。
高齢者の旅行には、体力・食事・持病・歩行など注意点などが多々あります。
旅行保険は69歳以下に比べ、70歳以上は高額になります。
そのくらい70歳以上の旅行にはリスクが大きいのだと思います。
私どもの体験が、シニアの方々の旅の参考になりましたら幸いです。
5日目:モン・サン・ミシェル修道院
朝は6時前に起床して、ホテル周辺を散歩に出ました。
6時半くらいが日の出になりますので、暁に照らされる「モン・サン・ミシェル」を見たいと思いました。
肌寒い中を海岸に向かいました。
数人のグループが、五つ六つ先を歩いておられました。
朝のランニングをしている若者が「おはようございます」と日本語で挨拶をして抜いていきました。
きっと毎朝のランニングを欠かさずしている青年が、モン・サン・ミシェルでもルーティーンをされていると感じました。
ホテルに帰り、パートナーと近くのレストランで朝食をいただきました。
やはりフランスパンやチーズが美味しかったです。
天気は良いのですが、急な雨天や海辺の風を心配して、傘やウインドブレーカーをリュックに詰め込み、貴重品をショルダーバッグに入れ、モン・サン・ミシェル専用バス停に向かいました。
バスは10分に一本くらいで来ます。
10分経たないうちに、モン・サン・ミシェルの前に着きました。
晴天の青空の美しい「モン・サン・ミシェル」は珍しいそうです。
3月は曇天が普通だそうです。
ラッキー!!
古城の入り口から入りました。
午前中は比較的空いています。
午後はパリから、日帰りの観光客が、ドッと押し寄せるそうです。
少しずつ登っていきました。
モンサンミッシェルは、フランスのノルマンディー地方にあり、四方を海で囲まれて、建物全体が要塞のように岩山の上にある珍しい街で、「世界文化遺産」に登録されているそうです。
ドームの中に、島全体の模型があり全体像が一目で分かりました。
708年に、司教オベールの夢に「大天使ミカエル」が現れ、山上に聖堂を建造するよう告げたそうです。
司教は信じなかったそうですが、ミカエルは何度も夢に現れ、最後には頭に穴を開けたそうで、司教はその痛みに驚いて建設を始めたそうです。
最上階には、高くて美しいゴシック様式の教会があり、魂の重さを測る計量器を持ったミカエルの彫刻などもありました。
魂が重いと天国に行き、軽いと地獄に行くそうで、ミカエルは閻魔大王様のような働きをする天使だそうです。
14世紀に始まったフランスとイギリスの戦争(百年戦争)では、要塞として使われたそうですが、調度品や家具や装飾品、神具、絵画などは略奪され、質素な教会の建造物のみが残りました。
中世を代表する巡礼地であった海の修道院(モン・サン・ミシェル)は、18世紀にはフランス革命で閉鎖され、監獄として使われたそうです。
ここはその時に囚人達が、船で運んだ食料などをトロッコに入れて、鎖に繋ぎ引き上げたそうです。
下を覗いたら落ちそうでゾッとしました。
観光客が、蟻のように歩いておられました。
モン・サン・ミシェルの低層階は、一般巡礼者を迎え入れます。
中層階には礼拝堂や、貴賓客や騎士をもてなす部屋がいくつもあります。
最上階には修道士が生活する場というように3層に分かれています。
修道院の内部は、狭い立地条件をたくみに活かして、長い年月をかけて増改築を繰り返しています。
驚いたのは、人の肩幅しかない通路が奥深く続いており、狭所恐怖症の私はゾッとして入れませんでした。
トイレが我慢できなくなり、モン・サン・ミシェルの出口の公衆トイレに駆け込みました。
1人、一回、1ユーロでした。
生まれて初めて有料トイレを使い、記念になりました。
帰りはバスで10分弱の宿泊街のレストランで昼食をいただきました。
モン・サン・ミシェルの城内の食堂の奥さんが、巡礼者に栄養のある食べ物をと考え作った料理が卵料理の「オムレツ」でした。
その特別な料理法のオムレツを美味しくいただきました。
フランスは農業大国であり酪農も盛んで、あちこちに牛などのオブジェのような像がありました。
そのとても大きなハムを一皿いただき、お腹がいっぱいになりました。
パマル!!(なかなか美味しい)pas mal
モン・サン・ミシェルからバスでパリに向かいました。
途中事故でラッシュになり、遠くにエッフェル塔を見ながら、車が遅々として進みませんでした。
近くで沢山の車を見ましたが、フランスでは洗車は日本ほどしないようだと思いました。
どの車も泥だらけ、煤だらけでした。
日本の車はピカピカです。
帰りの車窓からエッフェル塔が「歩く貴婦人」の如く、優雅に見えました。
やがて凱旋門を通り、運転手さんがサービスに2周してくださいました。
車窓から最後のパリの夜の凱旋門を撮りました。
夜が深まるほど、多くの観光客が押し寄せていました。
凱旋門の迫力は凄まじいものでした。
欧州の最後の晩餐は「エスカルゴ料理」でした。
夫は以前のフランスでのエスカルゴは、デンデンムシを思い出し食べれなかったそうです。
今回は、エスカルゴが小さく、緑のバジルがたっぷりかけてあり食べれたそうです。
貝嫌いの私も心配していましたが、とても美味しくいただきました。
フランスの代表的な高級料理をいただき、初めての欧州旅行を堪能し尽くしました。
エスカルゴは前菜で、メイン料理は牛肉のワイン煮とパスタでした。
ビーフの甘い味覚と柔らかさに喉が鳴りました。
宿泊ホテルは「ノボテル・ラ・デファンス」です。
最後の晩餐を終えて、欧州最後の夜の観光を楽しみ尽くしました。
部屋に入りシャワーを浴びて深い眠りにつきました。
6日目:パリ空港から上海空港へ
早朝6時に起きて、ホテルの近くを散歩し、朝食を取りました。
フランスの出国のための荷物整理をしました。
飛行機に乗りますのでスーツケース、リュック、ショルダーバッグにそれぞれ仕分けして入れました。
バスで「パリ・シャルル・ド・ゴール空港」に着き、スーツケースをそれぞれが持ち、出国審査に臨みました。
中国東方航空のカウンターに待つ人は僅かでした。
預かり荷物の重量を計り、搭乗券を貰いました。
JALのマイルは言葉が通じないので、帰ってからPCで行うことにしました。
ちなみに日本からロンドン片道は6,286マイルを貰いました。
保安検査場で手荷物検査、出国審査を経て搭乗口フロアに出ました。
搭乗時間まで2時間ほどありますので、お土産物を買いに行きました。
チョコレートとクッキーと買い物袋を、孫たちに購入しました。
パリの管制塔を横目に離陸しました。
また来年必ず来たいです、バイバ〜イ!!
安定飛行に入りましたら、すぐに昼食の機内食が出ました。
チキンヌードル、パイナップル、ヨーグルト、コーヒーを美味しくいただきました。
パリから上海までは、11時間35分の飛行時間です。
地球の自転の関係上、往より復が早いです。
帰りはムービーを見たり、音楽を聴いて寝みました。
7日目:最終日、上海で乗り換え国内地方空港着
機内で7日目の最終日を迎え、点灯と食事で起きました。
ライス、ビーフ、ブロッコリー、あえもの、クッキー、落花生を美味しく完食しました。
上海空港に着陸し、モノレールで移動し、日本行きの飛行機に乗りました。
上海空港を飛び立ちました。
行きは夜で何も見えませんでしたが、帰りは薄曇りで国土が見えました。
とてつも無い大きな河が見えました。
雄大な山河は、他の国々と違った独特の大陸の黄色の自然を見ました。
名高い「揚子江」の流域を見て、中国の広大さをあらためて感じました。
是非、この懐深い大陸の自然と文化を旅したいと思いました。
乗ってすぐに昼食の機内食が出ました。
大変カラフルに富んで美味しそうでしたが、如何せん冷たくて硬くて高齢者には無理でした。
残念ですが、中国東方航空さんにレンジで温めていただけますと高齢者も助かりますのでよろしくお願いします。
無事に予定通り、国内地方空港に到着しました。
出国審査も無事に終わり、添乗員さんにご挨拶して別れました。
少し荷物整理をして、昼食に熱い天ぷらうどんを空港のレストランでいただきました。
やはり熱い日本のカツオと昆布だしは美味しく、祖国の食に感謝しました。
地下鉄とモノレール、タクシーに乗り自宅に着きました。
ありがとうございました。
まとめ:欧州旅行4泊7日の概要
5日目は、今回の欧州旅行の目玉である「モン・サン・ミシェル」に行きました。
娘が大学の卒業旅行で5人の友人と共に行った話を聴いて、私たちも思い立ちました。
数十年前の旅行では聴いたことがありませんでしたので、近年「世界遺産」になり有名になったのかもしれません。
モン・サン・ミシェルはノルマンディー地方に存在すると聞きましたが、世界戦争史上最大の作戦と言われるのが「ノルマンディー大作戦」と言われます。
欧州大陸のドーバー海峡に近い陸続きの岩山にあり、宗教的に、軍事的に、地政学的に重要地に存在し、今日では「世界文化遺産」に登録され観光地として多くの人々が訪れて、深い歴史の何かを感じ取って帰られるのでしょう。
北海の波濤の凍るような寒冷さ、鋭き岩山の険しさ、過疎地の寂しさ、宗教的修行の厳格さ、囚人達の囚われの悲哀と、およそベルサイユ宮殿の豪華絢爛たる文化と正反対のものを感じ、共に世界遺産として多くの人々を魅了しています。
帰りの機内で、隣に20歳前くらいのジーンズ姿の、とても気のつく女の子が座りました。
辞書を引いたり、難しそうな本を読んだり、英語をメモに書き出して暗記していました。
ほとんど寝ずに勉強しているので、機内食の時に話しかけました。
シンガポール生まれのフランス育ちで、日本の長崎大学の医学部に入学のために、日本語と医学書を勉強しているそうです。
私が日本人と知り、いろいろ質問して来ました。
「お腹がいっぱい」のことをなんと言うかと聞きましたので、「満腹です」と答えました。
「デザートならまだ食べられる」をどう言うか聞きましたので、「別腹で食べます」と笑いながら答えたら、笑いながら「それは知っています」と大笑いしながら答えました。
戦争などの暗いニュースが多いですが、世界の若者は素晴らしいと未来を明るく感じました。
「旅は道連れ、世は情け」「袖擦りあうも他生の縁」と言いますが、旅の醍醐味を最後に味わいました。
モン・サン・ミシェルでお世話になりました方々、ホテルやレストラン、航空機でお世話になりました方々、英国、フランス、中国の皆様、シンガポール出身のお嬢さん、心から敬意を表し感謝を捧げます。
ありがとうございました。
メルスィー(merci)😍
サンキュー(thank you)
シェイシェイ(谢谢 Xièxiè)
テリマカシ(Terima kasih)シンガポール語
See you(^^♪
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