みなさま、こんにちは(^^♪
私たち夫婦は70代前半のシニアですが、京都が大好きで、この度はフェリーで瀬戸内海を横断して泉大津港から「大原三千院」へ行きました。
昼食は伏見の「黄桜河童カントリー」と記してあり、坂本龍馬で有名な「寺田屋」がお隣さんとのことでした。
「黄桜」さんは、テレビの宣伝でカッパの夫婦が酒を飲んでいるのをよく見ていましたので馴染みがあり、龍馬ファンの私には「寺田屋」に興奮しました。
独特の酒蔵レストランの京料理は繊細な美味しさがあり、迫力ある「寺田屋」の風情に幕末の疾風を感じました。
京都の巨大な歴史のパワースポットの凄さ、伏見の70年の酒蔵の趣を体感しましたので記させていただきました。
シニアの皆様の「旅に行く意欲」が高まり、参考になりましたら幸いです。
「黄桜」と「河童」の意味を知る
観光バスで、大原三千院から南下して、八阪神社を左に見て、伏見を目指しました。
「黄桜河童カントリー」で昼食と聞いた時に、カッパの宣伝を思い出しました。
黄色い桜とカッパの意味が分かりたいので、ガイドさんに質問しました。
「黄桜」の名前は、創業者が黄桜の花(黄緑がかった白い花のサトザクラ)を好み、付けたそうです。
トレードマークの「かっぱ」は、伏見は川が多いので、清水崑が描いたものをキャラクターとし、「河童の歌」を使用してTVコマーシャルで全国に知れ渡ったそうです。
「黄桜カッパカントリー」に入る
伏見城に象徴されるように、伏見は古い歴史と伝統の街であり、創業数百年の会社が多く存在しますが、黄桜さんは70年ほどだそうです。
それでもこのユニークな京都の酒屋さんの京料理には、どんなところで、どんなランチをいただけるか興味津々でした。
バスを降りると、次々と黄桜さんの門を潜り抜けました。
大きな酒蔵や、酒造りの樽や作業に使うであろう品々が展示されて、伏見の歴史の重みを感じました。
売店など、整理整頓され、行き届いた細やかなサービスに京都らしさを感じました。
トイレがキレイ!
トイレをお借りしましたが、清潔でお掃除にスキがありませんでした。
一流の店はトイレが違います。
「青瓦台」や「梅の花」や「太宰府の公衆トイレ」は、美しくて目を見張ります。
パリの有料自動洗浄式公衆トイレは、イマイチです。
一番、凄かったのは博多の「もつ鍋 中山本店」のトイレは芸術的でした。
ここの本業は清酒「黄桜」の製造販売、近年は地ビールの製造販売や、レストラン業を手掛け、コーポレート・スローガンは「くつろぎ、うるおい、かがやく」だそうです。
時間になり、食事場所に案内され驚きました。
重厚感溢れる石畳を歩いて入ると、露路正面にビールタンクが出迎えてくれます。
建物は、旧本店蔵をそのまま使用したダイナミックな骨組みが、私たちを圧倒しました。
酒蔵の柱や梁の黒に合わせた、食卓や椅子、弁当箱も黒ずくめで情緒溢れる雰囲気です。
私たち夫婦は一番奥の席に案内されました。
窓の外には、大木の木漏れ日の中で、外国の人々が京料理を楽しんでおられました。
食卓には、すでに黒塗りの弁当が置いてありました。
早く開けて中を見てみたいという、はやる思いを抑えて夫の着席を待ちました。
右近弁当(尾上右近さんプロジュースとの説あり)
深い弁当箱の蓋を開けて、下に重ねました。
美しい!そして、フワッと料理の香りが鼻腔をくすぐりました。
ビールをいただきたかったのですが、高齢の身、迷惑をかけまいと冷茶をゴクっと飲みこみました。
先ずは、「三種盛り合わせのお造り」をいただきました。
流石に京料理、これ以上小さくできないと思われる刺身の大きさです。
昨夜は阪九フェリーで、10倍くらい大きな刺身をゴリゴリいただきました。
京料理は極小ですが、お造りの繊細な味を引き出してくださり、思わず唸ってしまいました。
「季節の野菜焚き合わせ」は、がんもどき、高野豆腐、きんぴらごぼう、豚まき、ツミレ、ふきの味が繊細でした。
「天ぷら盛り合わせ」は、えび、さつまいも、ししとう、かぼちゃに塩を振っていただきました。
「焼き物」は、出汁巻き、焼き魚がボリューム満点でした。
「酢の物」は、海老、貝柱、わかめ、レモンが添えられ、繊細な味を楽しみました。
「御飯」と共に、「香物」と「吸い物」をいただきました。
「甘味」は、冷たい「ぜんざい」に抹茶菓子が浮かべてあり、〆に最高でした。
あとで調べましたら「右近弁当(要予約)、2,420円(税込)」とありました。
酒蔵の落ち着いた雰囲気の店内で、心ゆくまで美味しい京料理に舌鼓を打ち堪能しました。
出ようとしたら、誰もおられません、みなさん「寺田屋」見学に行かれたようです。
食いしん坊は、置いてきぼりを喰いました。
「黄桜」基本情報
「寺田屋」訪問
黄桜でのランチが終わり、隣の龍馬さんゆかりの「寺田屋」の通りを目指しました。
若いころ、司馬遼太郎作の「世に棲む日々」や「龍馬が行く」を読んで感動して、吉田松陰や坂本龍馬のファンになり、NHKの大河ドラマは欠かさずに見ました。
高知を旅行した時は、高知駅や桂浜の龍馬像の前で写真を撮ったり、記念館で「船中八策」を見て心震えました。
伏見の寺田屋は龍馬が襲撃された場所でもあり、悲劇の事件として名高い「寺田屋騒動」の舞台にもなりました。
今回は予想もしない「寺田屋」さんを見ることができてラッキーでした。
当時の寺田屋は鳥羽・伏見の戦いで焼失し、跡地には坂本龍馬の像や薩摩九烈士の碑などの史跡が残されています。
文久2年(1862)に、9名の薩摩藩士が命を落とした「寺田屋騒動」が起こります。
慶応2年(1866)は、坂本龍馬が、のちに妻となるお龍の機転によって襲撃の難を逃れたという事件がありました。
跡地全体は庭園となり、動乱があったとは思えない緑豊かな穏やかな雰囲気です。
庭園に足を踏み締めて、幕末の志士たちの赤誠に思いを馳せました。
跡地の隣に、当時の寺田屋を再現した「旅籠 寺田屋」があります。
現在でも営業されており、間取りも同じで朝食付きで一万円以内と安く泊まれるそうです。
館内の柱には、弾痕や刀傷があり、泊まるにはちょっと怖そうですが、歴史ファンには最高かもしれません。
2階には、女将のお登勢が画家に書かせた龍馬の肖像画や「寺田屋騒動」に関する品々を見ることができるそうです。
お龍の入った風呂場や階段を見たいと思いましたが、時間がなくなり見ることができずに残念でした。
寺田屋周辺の「船着き場」「龍馬通り」
寺田屋の前には、一面ガラス張りのカフェがあり、ランチや喫茶をする観光客や地元の人がおられました。
寺田屋と跡地の庭園や周辺が一望の元に見えて、幕末の動乱をゆっくりと忍ぶことができます。
その裏には川が流れて橋(写真・上)がかかって、船着き場ふうの場所があります。
江戸時代には、淀川からここまで川で繋がり、寺田屋周辺の伏見は船旅客で賑わった港町だそうです。
伏見は古くから京都の酒処で、昔の趣を残した酒蔵や、船着き場、石畳など、江戸時代の面影を残す、ノスタルジックな風景が広がります。
写真下は、幕末の志士や龍馬が行き来したと言われる「龍馬通り」の趣が楽しめます。
まとめ
大原の「三千院」から、宇治の「平等院」に向かう間に、伏見の「黄桜」さんで京料理の右近弁当をいただき、歴史にまつわる「寺田屋」さんの見学ができました。
秀吉が晩年を過ごした豪華絢爛な「伏見桃山城」のあった伏見の話をガイドさんから聞いて、「伏見稲荷」しか知らない私は伏見の凄さを再認識しました。
京大阪の交通の要衝であり、淀川の港町である伏見、それに纏わる歴史の群像を知りました。
また良質の地下水に恵まれた酒どころであり、農産物が豊富に収穫され、多種の漬け物が有名、京料理の食文化の高い地域であることを知りました。
伏見に身を置き、リアルに体感し、伏見を満喫しました。
バスの運転手さん、ガイドさん、旅行社のスタッフさん、京都、キザクラカッパカントリーさん、寺田屋さんのお世話になりましたすべての皆様方に、深い敬意と感謝を捧げます。
ありがとうございました。
See you(^^♪
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