広島城見どころ毛利・福島・浅野氏【体験】天下三名槍「日本号」逸話

ユルバの旅行

 

みなさま、こんにちは(^^♪

 

私は、広島に初めて旅行で来ました。

 

昨日は、宮島へ観光に行き「厳島神社」へ参拝し、うえので名物の「あなごめし」をいただき、元祖高津堂の「もみじ饅頭」を買いました。

今日は、広島で最も重要で緊張する「広島平和記念資料館」を観覧し、多くの学びを体験しました。

 

そして、中世からの広島の中心である「広島城」の見学に来ました。

 

見学するにあたっての、最低限な情報を調べましたので、ご報告します。

❶広島城の成り立ちと歴史を教えてください?
❷広島カープの鯉と「鯉城」は関係がありますか?
❸広島城の天下三名槍「日本号」は本物ですか?

▲インバウンドさんが写真を撮る広島城

広島城の成り立ちと歴史を教えてください?

広島城は、1589年に毛利輝元が太田川デルタの大きな三角州に、広島城(別名・鯉城)を築いた時が始まりです。

 

当地は6本の美しい川が流れ「水の都」と呼ばれ、その三角州が広い島に見え「広島」と名付けられました。

 

広島城は毛利、福島、浅野氏(12代・250年・42万6000石)の城下町に栄え、西国随一の賑わいを見せました。

 

昭和20年に起きた原爆の投下によって、天守閣は倒壊し、門や櫓は焼失しました。

現在見られる城内の、鉄筋コンクリート造の天守以下城郭建築は、全て1958年以降に再建されました。

 

広島城跡は、1953年に歴史的価値を見出され、「大本営跡」が史跡指定されました。

 

広島城は日本百名城の一つで、城ランキング20位であり、名古屋城、岡山城と共に「日本三大平城」です。

 

城内は、春は400本以上の桜を楽しめ、秋は紅葉が赤く染まり、冬は雪化粧の荘厳な佇まいなど、四季折々の景色を楽しむことができます。

▲鯉は登って龍になる出世魚ですimage

広島カープの鯉と「鯉城」は関係がありますか?

広島城の別称は「鯉城(りじょう)」と言います。

 

広島城があった一帯は昔「己斐浦(こいのうら)」と呼ばれ、西区己斐の地名は以前は「鯉」であったと言われています。

 

また堀にたくさんの鯉がいたからとも、天守が黒いからとも言われています。

「鯉城」の名前が使われた最も古い資料は、江戸時代後期に藩儒・頼聿庵が読んだ漢詩の中にあります。

 

鯉城通り、鯉城会館、鯉城高校、鯉城グループなど、市内中心部にある施設に鯉城を冠した名前のものが多くあります。

 

「広島東洋カープ」は、英語で鯉がCARPと書くので、チーム名が付けられました。

▲福島正則と母里太兵の「呑み取りの槍」を紹介するパネル

広島城の天下三名槍「日本号」は本物ですか?

天下三名槍とは「日本号(ひのもとごう)」「蜻蛉切(とんぼきり)」「御手杵(おてぎね)」です。

 

「日本号(御物・正三位)」は、室町時代後期に大和国金房派の作と推定されます。

「正親町天皇」が将軍「足利義昭」に下賜し、「織田信長」の手を経て、「豊臣秀吉」に受け継がれ、秀吉から「福島正則」が拝領しました。

 

「黒田節」の逸話である、酒の賭けに黒田家重臣の「母里太兵衛友信」に呑み取られ、「呑み取りの槍」の名前がつきました。

 

また、朝鮮出兵で危地にあった母里を「後藤又兵衛」が救い、日本号を使ったという「槍の又兵衛」の逸話もあります。

後藤又兵衛は、黒田藩を出奔するにあたり母里家に返還します。

 

大正時代まで代々母里家に伝わり、その後流出を重ね、旧福岡藩士の玄洋社総帥「頭山満」が一千円で購入し、博多の大親分の「大野仁平」にタダで譲ります。

 

仁平が亡くなると、旧福岡藩士であり炭坑経営者の「安川敬一郎」男爵が一万円で買い取り、旧藩主の黒田家に寄贈しました。

 

黒田家は郷土・福岡のために役立てるべきとして福岡市に寄贈され、「福岡市立博物館」に常設展示されています。

 

従いまして広島城の「日本号」はレプリカです。

▲「牡蠣船かなわ」さんでの「牡蠣ご飯」のコースは最高でした

広島城に入城します(体験談)

かなわで「牡蠣ご飯」のコースを美味しく食べて、タクシーを拾い「広島護国神社」前に着きました。

 

石段を上がると、史跡「広島大本営跡」を通り、旧天守閣の礎石を過ぎました。

 

前方左方向に、青空に映える天守閣(再建された鉄筋コンクリート造)を見ました。

インバウンドの若者たちが写真を撮りあっていました。

 

「城」は、独特の日本文化なので、思い思いのポーズで楽しんでいました。

 

石段を上がり、城の受付に行き、入城料2人で360円(65歳以上)支払いました。

1958年に最上階のみを木造、一層~四層は鉄筋コンクリート造りで再建されました。

 

外装は、壁の下側を黒い板で覆う下見板張で、鯱瓦は、福山城にある筋金御門の櫓を参考にしているそうです。

 

天守閣内部では、広島城の構造や特徴、広島の文化を伝える資料などが展示されています。

▲正面が玄関・受付で五層を誇りますimage

天守閣の一層に入る

天守閣のフロア構成は、五層あります。

 

一層は、構造がわかる展示・体験コーナー・ショップがあります。

 

二層は、暮らしと文化の展示・絵屏風の復元をしています。

 

三層は、甲冑や刀剣の展示をしています。

 

四層は、天守閣・企画展示があります。

 

五層は、華頭窓のある展望室となっています。

問題は、高齢者が5階まで登ことができるかでした。

 

姫路城は階段が急なために登れませんでした。

 

階段も廊下も展示室も一方通行でした。

 

階段は急ですが、両方に握りやすいパイプの手すりが隈なく設置されており、このお陰で最上階まで登ことができました。

 

でも一階登るごとにベンチで休憩しました。

 

展示物は、見易く並んでおり、一通り目を通すことができました。

▲天下三名槍「日本号」のレプリカを見る

三層で天下三名槍「日本号」を見る

三層では、70cmの実際の刀を持って振ってみる体験場がありました。

 

安全対策をしてありますが、相当に重いものでした。

 

慣れない人が刀を振ると、足を切ってしまうと聞いたことがあります。

 

私は剣道の有段者ですので、久しぶりの剣の握りに興奮しました。

天下三名槍「日本号」のレプリカの展示がしてありました。

 

私は、福岡市立博物館から九州国立博物館に移動展示してある、本物を見たことがあります。

 

その槍の凄さには驚嘆してしまいました。

 

大きさ、鋭さ、光沢、鏃の長さ、肢の豪華絢爛な紋様、全ての存在感に圧倒されました。

昔の勇猛な武将が欲しがる意味が分かります。

 

御物で正三位を考えれば、普通の個人が持つことはできる代物では無いと思いました。

 

福島正則が、伏見城で母里太兵衛に与えたとのことですが、その後の流れを聞きますと凄いに尽きると思いました。

▲おりづるタワーから、右奥に広島城天守閣を見る

五層で広島市内を展望する

五層に上がることができました。

 

若い人々はへっちゃらですが、高齢者は命懸けです。

 

転んで骨を折れば、立ち上がれるか分からないほどリスクが大きいのです。

 

インバウンドのシニア夫婦も、必死で登ってくる人々が少なからずありました。

登り切って、爽やかな気持ちで、休憩したり、素晴らしい広島の景色を眺めておられました。

 

現在の「天守閣」は、五階五層で、天守のみの高さは26.6mあります。

 

天守台と屋根上の鯱瓦も合わせると、約40mの高さを誇ります。

 

五層は展望室になっており、天守閣から広島市内を一望できます。

私たちも、広島市内を眺めながら、原爆ドーム、資料館、オリズルタワーを確認しました。

 

両側の手すりに掴みながら降りることは、とても容易でした。

 

一層まで降りて、階段を降りながら写真を撮りました。

▲宮島に立つ戦国武将image

「広島城」INFORMATION

営業時間:9:00~18:00(12月~2月の平日は9:00~17:00)、いずれも入館は閉館の30分前まで
定休日:年末年始(12月29日~12月31日)※その他臨時休館日あり
料金:大人 370円(280円)、高校生・シニア180円(100円)、中学生以下無料
※要年齢確認。( )内は30名以上の団体料金
住所:〒730-0011広島県広島市中区基町21-1
電話番号:082-221-7512、082-227-7875
駐車場:なし

▲広島市街は路面電車が走りますimage

まとめ

広島城を見学するにあたっての、最低限な情報を調べましたので、ご報告します。

❶広島城の成り立ちと歴史を教えてください?
広島城は1589年に毛利輝元が築き、太田川の三角州が広い島に見え「広島」と名付けられ毛利、福島、浅野氏の城下町として西国随一の栄えを見せました。昭和20年の原爆の投下で天守閣は倒壊、門や櫓は焼失し1958年以降に再建されました。
❷広島カープの鯉と「鯉城」は関係がありますか?
広島城の別称は「鯉城(りじょう)」と言います。広島城があった一帯は昔「己斐浦(こいのうら)」と呼ばれ、西区己斐の地名は「鯉」であったと言われています。「広島東洋カープ」は、英語で鯉がCARPと書くので、チーム名が付けられました。
❸広島城の天下三名槍「日本号」は本物ですか?
「日本号(御物・正三位)」は、豊臣秀吉から「福島正則」が戦功により拝領しました。「黒田節」の逸話である、酒の賭けに黒田家重臣の「母里太兵衛友信」に呑み取られました。現在、本物は「福岡市立博物館」に常設展示され、広島城の「日本号」はレプリカです。

▲広島城は大本営ごと原爆で壊滅し再建されました

広島の観光地には、原爆資料館と宮島の二枚看板があります。

 

中世からの、政治・経済・軍事の中心地であり、国宝に指定されていた広島城は、原爆で破壊され建造物の価値を失いました。

 

しかし、戦国時代に有利な山城から、通商に有利な平城に転換するという毛利輝元の叡智により、広島の地が開拓されて、現在の繁栄と多くの文化が生まれたことを思いますと、歴史的価値の高い観光遺産であると感じました。

毛利輝元さん、福島正則さん、浅野家の12代城主さん、すべての広島城の関係者の皆さま、見学できましてありがとうございました。

 

See you(^^♪

ユルバの旅行
ユルバをフォローする
ユルバ

みなさま、こんにちは、はじめまして♪
わたしは、地方都市に住んでいる60代後半の主婦で、ユルバと申します。
子どもたちは独立し、夫と二人暮らしです。
自宅を「終のすみか」にリフォームし、それなりに満足のいくリフォームができました。
ネット検索をしたら業者さんの記事がほとんどで、施主さんの生のリアルな声が少なかったです。
その教訓から、シニアの主婦目線のリフォームの体験談をblogしたいと思い立ちました。
また好きな旅行なども同じ気持ちで書きました。
失敗やハプニングの連続でしたが、みなさまのご参考になれば幸いです。
よろしくお願いいたします(^^♪

ユルバをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました