広島平和公園・原爆資料館【体験談】原爆死没者慰霊碑・原爆ドーム

ユルバの旅行

 

みなさま、こんにちは(^^♪

 

私は、広島に初めて旅行で来ました。

昨日は、宮島へ観光に行き「厳島神社」へ参拝し、うえのさんで名物の「あなごめし」をいただき、元祖高津堂の「もみじ饅頭」を買いました。

 

今日は、広島で最も重要で緊張する「広島平和記念資料館」の見学をします。

夫は数回来たそうですが、私は初めてです。

 

見学するにあたっての最低限なことを調べましたので、ご報告します。

❶「広島平和記念資料館」とは何ですか?
❷「広島平和記念資料館」はどのような理念・目的・コンセプトで造られましたか?
❸「広島平和記念資料館」の展示内容はどうなっていますか?
❹来館者数や観覧著名人を教えてください?

▲元安橋側から平和の灯、慰霊碑、資料館を見る

「広島平和記念資料館」とは何ですか?

「広島平和記念資料館」は、広島市にある博物館で、通称「原爆資料館」とも呼ばれています。

 

1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、広島は世界で初めて原子爆弾による未曾有の被害を受けました。

 

爆心地である中島地区の「広島平和記念公園」の敷地内に、原爆ドーム(世界遺産登録)、原爆死没者慰霊碑などと共に所在しています。

1955(昭和30)年8月、原爆被害を世界の人々に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を願い、当初は「広島平和会館原爆記念陳列館」の名称で開館しました。

 

2006(平成18)年7月、広島平和記念資料館・本館は、戦後建築物としては初めて国の重要文化財に指定されました。

 

運営は広島市出資の「公益財団法人広島平和文化センター」が行っています。

▲右が「広島県産業奨励館」、左が被爆後の産業奨励館です

「広島平和記念資料館」はどのような理念・目的・コンセプトで造られましたか?

理念は、「核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を目指し被爆の実相を人々に伝えること」と言われています。

 

目的は、「原子爆弾による被害の実相をあらゆる国々の人々に伝え、ヒロシマの心である核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与すること」です。

 

1945年、広島に原子爆弾が投下され、市街は壊滅し、多大な人命が奪われ、多くの被爆者が今なお苦しんでいます。

資料館は、被爆者の遺品や、被爆の惨状を現す写真や資料を展示し、広島の被爆前後の歩みを紹介しています。

 

資料館を設計した丹下健三氏は、広島平和公園のコンセプトとして、「平和を創る工場」と定め、「平和は訪れて来るものではなく、闘いとらなければならないものである。平和は自然からも神からも与へられるものではなく、人々が実践的に創り出してゆくものである」と述べました。

▲右が「普通の瓦」、左が「被爆した瓦」です

「広島平和記念資料館」の展示内容はどうなっていますか?

観覧は東館から入場し、本館を見学後、東館に戻り退出するコースとなっています。

 

東館には、核兵器の危険性や原爆投下に至った歴史的背景や広島の歴史を紹介しています。

本館では、原爆による人的・物的被害に関する展示が行われ、「原爆投下直後の壊滅した広島市街地の縮小模型」「被爆者の遺品(制服の残骸・黒焦げの弁当箱)や被爆の惨状を示す写真や絵」「住友銀行広島支店から移設された爆弾の熱線で石に人影が残った“人影の石”」「火傷を負った少女の写真」などが展示され、資料の一つ一つには、人びとの悲しみや怒りが込められています。

 

収蔵品は約2万点以上あり、館内の見学は本来3時間ほどかかりますが、来館者の見学時間は平均45分くらいと言われています。

▲多くの白人インバウンドが慰霊碑で平和の祈りを捧げている

来館者数や観覧著名人を教えてください?

1955年に開館し、2022年度までに延べ7589万人余が訪れました。

 

2016年度は、159万3280人(オバマ米大統領の訪問で過去最多)

2019年度は、175万8746人(リニューアルオープンし過去最多)でした。

 

2020〜2021年度は、コロナ禍で減少しました。

 

2022年度は、112万6381人まで復活しました。

 

2023年度は、198万1617人(2019年度を22万人ほど上回り過去最多を更新)と大きく伸びました。

このうち、外国人は67万614人と全体の3分の1を占め、2019年度を14万人あまり上回って過去最多となりました。

 

外国人来館者は、2013年に約20万人あり、この年の「トリップアドバイザー」の調査は「外国人に人気の日本の観光スポット第1位」でした。

 

2015年「日本の必見観光地トップ20」のリストでは、1位・宮島、2位・原爆資料館、3位・松本城、4位・東京ディズニーシー、5位・沖縄美ら海水族館、6位・伏見稲荷大社が載りました。

▲原爆で無惨に破壊された広島産業奨励館

2023年5月、核保有国の3カ国を含む、バイデン米国大統領初めG7各国首脳が訪問しました。

エルネスト・ゲバラ(1959年)、ヨハネ・パウロ2世(1981年)、ジミー・カーター(1984年)、マザー・テレサ(1984年)、ダライ・ラマ14世(1995年)の他、各国の元首、多くの著名人、平和活動家などが来館し、平和へのメッセージを記帳しています。

「広島平和記念資料館」に入館する(体験談)

ホテルからタクシーで、平和公園に着きました。

 

今日は月曜日の平日ですが、8:30の開館時間に行きましたが、既に相当数が並んでおられました。

インバウンドは三分の一以上であるとタクシーの運転手さんから聞きましたが、欧米人が多くおられました。

▲開館時間から受付に並ぶ観覧者

東館からの受付から入りました。

 

受付で免許証を提示して、65歳以上の半額1人100円の入場券を貰いました。

 

同時にイヤホンガイド、2人分400円を支払いました。

▲展示室の入り口に時計があり、被爆時間の8:15を指していました

横の壁面には、「幟町尋常高等小学校(1930年代前半)寄贈:西坊義信氏」のモノクロの写真が飾られていました。

 

「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子(さだこ・3歳で被爆し12歳で白血病で亡くなる)さんの出身校です。

▲原爆投下前の広島市街地

原爆の投下前の、青々とした川が流れ、緑力とした広島の街並みがあります。

▲原爆投下後の広島市街地

原爆投下後一瞬にして、一体が黒く焼け焦げた広島の町。

 

右側には原爆の黒い影が落ちて行くのが映像で流れました。

▲広島平和公園の中を歩く人々

東館から本館への渡り廊下から、「爆心地」の中心を見ることができます。

▲資料館・死没者慰霊碑・原爆ドームは一直線に貫かれる

「平和の軸線」と言われる景観軸は、公園南端を東西に走る平和大通りと直交して平和記念資料館本館、原爆死没者慰霊碑、原爆ドームが一直線に並び貫きます。

 

設計者である丹下健三氏の「平和は自然に任せず人々が勝ち取るもの」という強い意志の現れを感じます。

▲原爆のレプリカに「触れてください」と書いたプレートがありました

右が広島に落とされた「リトルボーイ」、左が長崎に落とされた「ファットマン」の8分の1のレプリカです。

 

大人と子供の人形がありますので、大きさを想像できます。

 

原爆による人的・物的被害に関する展示には、壮絶な現実に言葉を失いました。

原爆の動きと、投下直後の壊滅した広島市街地の映像を見て、この世のものとは思えませんでした。

 

実際の被爆者の遺品や、被爆の惨状を映した写真や絵を見て、胸が突き刺され破れる痛みを感じました。

 

爆弾の熱線で石に人影が残った“人影の石”を見て、やりきれない思いに打ちひしがれました。

▲「ヒロシマを知ることは未来を考えること」

パンフレットの表紙の写真に、錆だらけの被爆した三輪車が写っていました。

 

8月6日の朝、Tちゃん(当時3歳)は、この三輪車で遊んでいるときに被爆しました。

 

全身に大やけどを負ったTちゃんは「水、水・・」とうめきながら、その晩に亡くなりました。

Tちゃんを埋葬するとき父親は、1人ではさびしいだろうと思い、三輪車と一緒に遺体を庭に埋めました。

 

それから数十年後、お父さんはTちゃんの遺骨をお墓へ入れ、三輪車を原爆資料館に寄贈しました。

 

この悲しい現実を読んで、涙が止まりませんでした。

▲午前10時過ぎには多くの観覧希望者が並んでいました

1時間半ほどして資料館を出る頃には、たくさんの行列が並んでいました。

 

見につまされる思いで、平和公園の大きなベンチに倒れ込み、抱かれました。

 

青空を仰ぎ、緑の大木と芝生に、爽やかな風が吹いていました。

身体をゆったりと休ませながら、ヒロシマの当地で戦争と平和の物思いに耽りました。

 

仕事や子育て中には無い、シニアならではの心の時間でした。

 

30分ほど休み、ベンチの前の慰霊碑に向かいました。

▲「原爆死没者慰霊碑」の前に佇むインバウンドさんたち

「原爆死没者慰霊碑」の前で祈る

「広島平和記念公園」には、先ほど見学した原爆投下当時の広島のようすを展示した「広島平和記念資料館」、世界遺産に登録されている「原爆ドーム」や、「原爆死没者慰霊碑」、「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」、「広島国際会議場」などの多くの施設があります。

▲「原爆死没者慰霊碑」と原爆の火と原爆ドームは一直線

「原爆死没者慰霊碑」の前で犠牲者の慰霊と、世界の恒久平和の祈りを捧げました。

 

真ん前に書いてある「安らかに眠って下さい、過ちは繰返しませぬから」との碑文を口ずさみました。

▲「平和祈念像」母と子の思い

その横に、慰霊碑を見守るように、お母さんに抱かれた子どもが金のラッパを吹いて、母は三日月から一歩足を出しています。

これは、昭和52年に、鍔勝三氏(製作者)の寄贈により建立され、氏は「親から子どもへ、昨日よりも明日へ、三日月もやがて満月になる、新しい未来を求めて、平和のラッパを鳴らしたい」と願いを込められたそうです。

▲夏の熱い日を象徴するかのように「平和の灯」が揺れる

慰霊碑の先に、小さな黄色い火がゆらゆらと燃えていました。

 

昭和39年に点火され「核兵器が地上から消えるまで灯し続けよう」という反核悲願の象徴となっているそうです。

宮島の弥山の「大聖院」の頂上付近の「霊火堂」に、空海の「消えずの火」が、1200年以上燃え続けています。

 

この火が「平和の灯」の種火の一つになっているそうです。

 

先人たちに習い、思いを伝え続けて行こうとする平和を希求する熱い思いを感じました。

▲「原爆の子の像」の前でヒロシマの歌を合唱する小学生

平和公園を登っていきますと左側に、像を前に小学生たちが歌を歌っていました。

 

数十人のナップサックを担いだ子と先生のようです。

 

耳を澄ませますと「ヒロシマの歌」のようです。

美しいメロディと清らかな歌声に、インバウンドの方々もしばし足を止めて聞き入っていました。

 

ここの「原爆の子の像」のモデルになった佐々木禎子(さだこ)さんは、原子爆弾投下により3歳で被爆し、12歳の若さで白血病により亡くなったそうです。

 

同年代の悲しみを自分のものとして歌う子供たちの声に、胸を揺さぶられました。

▲元安川の手前から見る原爆ドーム

元安橋を渡って原爆ドームに向かいました。

 

その途中に「平和の鐘」を見ることができました。

 

平和への願いを込めて鳴らされる「平和の鐘」の音は、環境省が選んだ、残したい日本の音風景100選にも選ばれているそうです。

▲「原爆ドーム」の前をたくさんのインバウンドの方々が歩いて行かれます

「原爆ドーム」の前に立つ

元安橋を渡り切って、左に曲がり数分歩くと「原爆ドーム」が見えてきます。

 

間近に見ると、とても大きく見えます。

 

大きなベンチがありますので座って休憩しながら、ドームに思いを馳せました。

原爆ドームは、人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を伝える「被爆の証人、悲劇の証」としてその形を現在に残す建物です。

 

また、核兵器廃絶と世界恒久平和を求める誓いのシンボルとなっています。

 

「広島平和公園」の見学は、人類全体の負の遺産であり、個々の胸を締め付け痛めるものでした。

 

しかし私たちは、この現実に目を背けてはならないものだと感じました。

そして核兵器廃絶、恒久平和を誓わなければならないと思いました。

 

犠牲者の皆様のご冥福をお祈りし、未だ苦しまれる方々にお見舞いを申し上げます。

 

見学の機会をいただきました諸関係者の皆さまに、感謝を申し上げます。

▲核兵器廃絶と世界恒久平和のシンボル

広島平和記念資料館の情報

住所:〒730-0811広島県広島市中区中島町1-2
電話番号:082-241-4004
営業時間:3月〜7月/08:30〜18:00、8月/08:30〜19:00、9月〜11月/08:30〜18:00、12月〜2月/08:30〜17:00
定休日:12月30,31日
料金:大学生以上の大人/200円、高校生/100円、65歳以上(公的証明書提示)/100円
駐車場:身障者専用のみあり、一般は近隣駐車場(有料)をご利用ください

▲「原爆の子の像」の前での小学生の集いは長時間続けられた

まとめ

観覧するにあたっての最低限なことを調べましたので、ご報告します。

❶「広島平和記念資料館」とは何ですか?
広島市にある博物館で、通称「原爆資料館」とも呼ばれ、本館は世界遺産に登録され、爆心地である「広島平和記念公園」の敷地内に、原爆ドーム、原爆死没者慰霊碑などと共に所在しています。
❷「広島平和記念資料館」はどのような理念・目的・コンセプトで造られましたか?
「核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を目指し被爆の実相を人々に伝えること」と言われ、建築コンセプトとして、「平和は自然から与えられるものでは無く、人々が実践的に創り出してゆくものである」としました。
❸「広島平和記念資料館」の展示内容はどうなっていますか?
東館は、核兵器の危険性や原爆投下に至った歴史的背景や広島の歴史を紹介しています。本館は、原爆による人的・物的被害に関する展示が行われ、資料には、人びとの悲しみや怒りが込められています。
❹来館者数や観覧著名人を教えてください?
1955年の開館から2022年度まで延べ7589万人余が訪れました。2023年度は198万1617人と過去最高、外国人も全体の3分の1を占め過去最多となりました。オバマ大統領、バイデン大統領初めG7各国首脳、ヨハネ・パウロ2世、マザー・テレサ(1984年)、ダライ・ラマ14世などが観覧しました。

▲爆心地の元安川から原爆ドームを望む

人類発祥以来の世界大戦争が起きて、その最終終結がヒロシマ・ナガサキの原爆投下でした。

 

私たちを含む、全ての人々の業を負ったのがヒロシマ・ナガサキであり、人ごとでは無く申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

核兵器廃絶、戦争放棄、恒久平和の道のりは厳しく険しいものです。

弱肉強食の競争世界、グローバリゼーションでは、戦争抑止力肯定論も起こります。

 

一国強国化、多極化と国際情勢は目まぐるしく動いています。

 

しかし当事者にとって原爆投下ほど悲惨なものは現代にはありません。

▲インバウンドで溢れる「原爆死没者慰霊碑」

原爆資料館のインバウンドの増加は、世界の動きであり、希望であると思いました。

 

広島平和公園は、人類全体の負の遺産であり、人類生存の大きな問題意識を投げかけています。

 

私たちは、この現実に目を背けてはならないものだと感じました。

そして核兵器廃絶、恒久平和は、私たちの意思で誓わなければならないと思いました。

 

犠牲者の皆様に深い哀悼の意を表し、未だ苦しまれる方々に心からお見舞いを申し上げます。

 

そして見学の機会をいただきました関係者の皆さまに、感謝を申し上げます。

 

See you(^^♪

 

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みなさま、こんにちは、はじめまして♪
わたしは、地方都市に住んでいる60代後半の主婦で、ユルバと申します。
子どもたちは独立し、夫と二人暮らしです。
自宅を「終のすみか」にリフォームし、それなりに満足のいくリフォームができました。
ネット検索をしたら業者さんの記事がほとんどで、施主さんの生のリアルな声が少なかったです。
その教訓から、シニアの主婦目線のリフォームの体験談をblogしたいと思い立ちました。
また好きな旅行なども同じ気持ちで書きました。
失敗やハプニングの連続でしたが、みなさまのご参考になれば幸いです。
よろしくお願いいたします(^^♪

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