下関・桜山神社(招魂場)の見どころ【体験談】靖国神社の原型となる

ユルバの旅行

みなさま、こんにちは(^^♪

私たち夫婦は下関を旅しました。

春帆楼でふぐコースをいただいた時に、サービスしてくださる女性が気さくな方で、地元の歴史にも詳しい方でした。

「これから日清講和記念館と赤間神宮、亀山八幡宮の砲台跡に行く予定です。大歳神社や厳島神社はどうでしょうか?」と聞きました。

女性は「桜山神社に行ってください、他では感じられない靖国神社の原型のような心に出会えると思います」と言われました。

私たちは息子の入学式に東京に行き、桜花爛漫の千鳥ヶ淵や靖国神社に参拝し感動した記憶があり、ぜひ桜山神社に参拝したいと思いました。

桜山神社(桜山招魂場)の起源は何ですか?

招魂場とは何ですか?

祀られている方は誰ですか?

桜山神社の変遷を簡単に知りたい?

なぜ靖国神社の原型になったのですか?

▲桜山招魂場碑に縁起が書いてあります

桜山神社(招魂場)の起源は何ですか?

文久3(1863)年に下関事件が起こり、高杉晋作は奇兵隊を結成しました。

同年、晋作の発議で「殉国の志士の霊魂を祀る招魂場」を造営することになりました。

しかし、下関戦争、禁門の変といった動乱続きにより、元治の内乱で藩論が統一された後の元治2(1865)年に落成しました。

▲396の石碑が整然と立ち並ぶ

招魂社、招魂場とは何ですか?

「招魂社」とは、明治維新のために殉難した死者を慰霊する目的で創建された神社です。

諸藩が、維新前後から国家のために殉難した英霊を祀る「招魂場」を造営したのが始まりです。

桜山神社が、日本で初めて設立された招魂場になります。

▲当時植栽されたと思われる桜の古木

桜山神社の変遷を簡単に知りたい?

当初は、攘夷戦争による奇兵隊の戦死者の霊を弔うものとして造営されました。次に、下関戦争・小倉戦争・戊辰戦争の長州出身の戦死者が合祀されました。

そして、吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、山県有朋など明治維新の功労者の霊も合祀されたのです。また、山口県内にあった招魂場のすべての神霊が合祀されました。

 

本殿裏には、396本の石碑が並び壮観です。最初は「桜山招魂社」と呼ばれ、昭和になって「桜山神社」と改称されました。

「桜山」の名は、境内に桜の木が植えられたことに由来します。下関市内の数多い維新史跡の中でも、重要な聖地と言われています。

▲松陰先生を中心に396柱が立ち並ぶ

祀られている方は誰ですか?

主な御祭神は、吉田松陰1柱、高杉晋作・久坂義助・入江九一・吉田稔麿・河上弥市5柱、白石正一郎・白石廉作・山県有朋・長州藩奇兵隊士256柱、泉十郎・熊野直助・豊浦藩報国隊士96柱、膺懲隊・八幡隊・遊撃隊・整武隊・清末藩育英隊等諸隊士38柱、御祭神は合計396柱となります。

石碑の霊標は396柱ですが、合祀され神霊名簿に記載されている神霊は857柱でございます。

▲「明治天皇勅宣碑」が掲げられる

なぜ靖国神社の原型になったのですか?

明治維新前後から、生前の身分に関わらず国家のために殉難した戦没者を、隠り身として祀る招魂社の発想は、その後全国に広がりました。

明治2(1869)年、幕末維新に殉じた志士達を慰霊する「東京招魂社」が東京九段にできました。明治12(1879)年に改称され、明治天皇から「靖国神社」と命名されました。

昭和14(1939)年、地方の主な招魂社は「護国神社」と改称されました。靖国神社は、この「桜山招魂場」が原型となったと言われています。

▲桜山神社の第一の鳥居

桜山神社に参詣する(体験談)

JR下関駅から桜山神社までタクシーで(2km・920円)で行きました。

どのような神社なのか、地元の人々も大切になさっておられるので怖いような興味津々でもありました。

門前には、「櫻山招魂社」という石碑が立っていました。第一の鳥居をくぐり、急な階段を登っていきました。

▲奇兵隊の旗がたなびく石段

けっこう年寄りにはキツい階段ですが、掃き清めてありました。

数回お休みをしながら、中央の手すりに捕まりながら登り切りました。横には「奇兵隊」や「八幡隊」の旗刺しものが翻っていました。

▲桜に囲まれる本殿正面

本殿にお参りする

数十メートル向こうに小さな本殿らしき建物がありました。

周りは草一本無く清掃され、参道の両側にはプランターに花々が植えてありました。

緊張しながらお参りをさせていただきました。

▲本殿奥の鳥居と石碑

本殿の奥に回りました。前列の真正面に「吉田松陰先生」の石碑がありました。

青春時代に司馬遼太郎の「世に棲む日日」を、心を熱くして読みました。命を賭けて国を護った先人がいて、今の日本があり、私たちがあると思いました。

それを忘れないために顕彰することは大切なことだと思います。外国では、その国を侵略から救った英雄の像を、大衆が集まる広場に建立します。

確固たる平和が続くと、その精神も薄まるようですが、平和ボケはよくないと思います。

▲松陰先生と四天王の石碑

396の石碑に拝礼する

吉田松陰先生、高杉晋作、久坂義助、入江九一、吉田稔麿、5柱の石碑が最前列の中央にあります。

▲戦没者なのに、なぜか暗くなく明るい

中央の右側には、高杉晋作以下多くの石碑が整然と並びます。

▲国のために殉じた誇りを感じる

中央から左側には、久坂玄瑞以下多くの石碑が立ち並びます。

反植民地、国の主権、不平等条約撤廃、真の平和獲得のためには戦争で多くの血を流すことも不可避だったのでしょう。

壮絶な長州志士の覚悟に、再び手を掌わせました。

▲桜山神社・櫻山招魂場説明看板

桜山神社は、下関市指定記念物(史跡)となっています。

桜山招魂場は、尊皇攘夷に倒れた隊士らを身分の区別なく慰霊する施設として創設されました。

全国の招魂社の先がけであり、幕末維新における奇兵隊、長州藩の思想理念を象徴する史跡であるとされています。

▲「高杉東行狂生書」の碑文

「高杉東行狂生書」の碑文を読む

招魂場が落成した時に、高杉晋作が思いを筆にし、その書を刻印してつくったものだそうです。実物そのままに、高杉晋作の筆跡を鮮明に見ることができます。

 

晋作も「弔われる方だったのに、弔う方になり恥ずかしい」との思いに、当時の胸中を察せずにはおられません。

▲先の「高杉東行狂生書」を清書した碑文

▲「龍馬と下関」の関係を紹介する看板

お龍が櫻山招魂場で詠んだ歌

お龍は、龍馬の死後、下関で過ごし櫻山招魂場に祀られた志士の思いを詠みました。

「もののふの かばねはここに 桜山 花は散れども 名こそ止むれ」

志を遂げるために命を投げ打った多くの同志を亡くし、残された高杉晋作とお龍の弔意に男女は違えど同じ胸中を感じました。

今回の桜山神社の参詣は、第一の鳥居をくぐり、石段を登り、本殿にお参りする。そして、奥の396の石碑に拝礼し、櫻山招魂場説明看板、「高杉東行狂生書」の碑文、「龍馬と下関」の立て看板、「明治天皇勅宣碑」、「桜山招魂場碑」を観ました。

境内の老いた桜の木を眺めながら、志士達は桜の花になり後世の人々を護ってくださっていると思いました。

松陰先生、晋作さん、久坂さん、入江さん、稔麿さん、弥市さん、奇兵隊士さん、報国隊士さん、膺懲隊士さん、八幡隊士さん、遊撃隊士さん、整武隊士さん、育英隊士さん、諸隊士さん、ありがとうございました。

桜山神社を運営し守ってくださっている下関の皆様、ありがとうございました。

▲誇りと自負心に満ちた招魂場に心打たれる

まとめ

下関の地元の方から勧められて「桜山神社」に来ました。

どんな神社か、事前にリサーチしました。

桜山神社(桜山招魂場)の起源は何ですか? 文久3(1863)年に高杉晋作の発議で「殉国の志士の霊魂を祀る招魂場」を造営することになりました。
招魂社、招魂場とは何ですか? 「招魂社」とは、明治維新のために殉難した死者を慰霊する目的で創建された神社です。
桜山神社の変遷を簡単に知りたい? 当初は奇兵隊の戦死者、次に下関戦争・小倉戦争・戊辰戦争の戦死者、そして明治維新の功労者、のちに山口県内にあった招魂場のすべての神霊が合祀されました。
祀られている方は誰ですか? 主な御祭神は吉田松陰、松陰の双璧と言われる高杉晋作、久坂義助をはじめ合計396柱となります。
なぜ靖国神社の原型になったのですか? 国家のため殉難した戦没者を祀る「桜山招魂場」が創設され、全国に広がり後に「護国神社」となりました。「東京招魂社」は「靖国神社」となり、「桜山招魂場」が原型となったと言われています。

▲下関と九州をつなぐ関門大橋

国家民族の危機にあたって、時のリーダー達は命懸けでことに処しました。

高杉晋作は、奇兵隊の戦没者の慰霊と、自分たちの生墳(生前に建てる墓)を発願し、奇兵隊の賛同を得て招魂場を設置しました。

国を護るための決死の覚悟を共にしたのです。

しかし、我が国の王朝時代には死者に対する招魂祭はしなかったそうです。

神道儀礼は、死者と生者に対する鎮魂祭をされていたそうです。

招魂場・招魂社から護国神社・靖国神社に変わったのは、その経緯は定かではありません。

この度の下関旅行で、さまざまな歴史遺産から学ばせていただくことができました。

今後も旅を続けながら歴史に学びたいと思います。

お世話になりました下関の皆様、ありがとうございました。

 

この下関旅行の「総集編」として、『下関観光おすすめ【シニア夫婦体験】ふぐ料理・瓦そば1泊2日総集編』を書きました。

 

内容は、「スケジュール」「持ち物一覧」「旅行費用総額55,674円の明細」「観光地・食処の8体験談」を記しましたので、興味のあられる方はご覧ください。

 

シニア夫婦のアクシデントや失敗がありましたが満足な旅ができました。

 

ありがとうございました。

 

See you(^^♪

 

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ユルバ

みなさま、こんにちは、はじめまして♪
わたしは、地方都市に住んでいる60代後半の主婦で、ユルバと申します。
子どもたちは独立し、夫と二人暮らしです。
自宅を「終のすみか」にリフォームし、それなりに満足のいくリフォームができました。
ネット検索をしたら業者さんの記事がほとんどで、施主さんの生のリアルな声が少なかったです。
その教訓から、シニアの主婦目線のリフォームの体験談をblogしたいと思い立ちました。
また好きな旅行なども同じ気持ちで書きました。
失敗やハプニングの連続でしたが、みなさまのご参考になれば幸いです。
よろしくお願いいたします(^^♪

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