2日目は、「景福宮」「北村韓屋村」「仁寺洞」「青瓦台」「ソウル夜行バス」を観光し、朝食は「ホテルのビュッフェ」、昼食は「サムゲタン」、夕食は「プルコギ」をいただきました。
3日目は、「ロッテ免税店 明洞本店」で買い物をして、昼食に「カルグクス」をいただき、「水原華城」を観光しました。
「水原華城」の観光は初めてなので、少し調べて予備知識を得てから向かいました。
「水原華城」とはどんなお城ですか?
「水原市」は、ソウル市の南35kmにある大都市(人口124万人)で、水原市にある華城を「水原華城」と言います。
「水原華城(すいげんかじょう/スウォンファソン)」は、歴史的に優れた機能や建築美が評価され韓国を代表するユネスコ世界文化遺産となり、ドラマのロケ地としても有名であり、多くの観光客が訪れる人気の観光スポットとなりました。
「水源華城」は、18世紀末に韓国ドラマ「イ・サン」の主人公である「李氏朝鮮第22代正祖(チョンジョ)大王」が築いた城郭です。
王の世継ぎでありながら政争により非業の死を遂げた父(思悼世子)の墓を、楊州から朝鮮一の風水の吉祥地である水原に改葬しました。
そして父の墓を護ろうと、ソウルからの遷都を考え築城をはじめたのが「水原華城」でありました。
「水原華城」は、イ・サンの深い孝行心と、党派による政争の根絶と強力な王道政治の実現のため、また首都南方の国防要塞築城など、偉大な政治的構想の中心地として建設されました。
2年8ヶ月ほどで「水原華城」は完成しましたが、完成からわずか4年ほどで正祖が死去してしまったため、遷都計画も白紙に戻されました。
水原華城は、日本の占領期と朝鮮戦争で城郭を一部損失しました。
築城直後に刊行された「華城城役儀軌」を基に、1970年代に築城当時の姿に補修・復元されました。
「水原華城」に入城する(体験談)
ソウル市内から1時間弱で「水原華城」に着きました。
韓国を代表する文化遺産ということや、「イ・サン」に関わることで楽しみでした。
「イ・サン」は全巻鑑賞しましたので身近に感じました。
お父さんが米櫃に入れられているところは、衝撃的で覚えています。
ツアーバスを降りて、門から入城しました。
広大な城壁に囲まれた、広々とした緑豊かな城内でした。
日本の城や沖縄のグスクとも感じが違いました。
トイレ休憩を済ませて、地図の看板の前でガイドさんから全体の説明を受けました。
大きすぎて概要が掴めませんでした。
総面積が130haほどで、約5.7kmの城壁があり、蒼龍門(東・青旗)、華西門(西・白旗)、八達門(南・赤旗)、長安門(北・黒旗)の四大門があります。
正祖が行幸の際に宿泊した「華城行宮」には、黄色の旗が立っているそうです。
「錬武台」を見学する
最初に、220年以上前に兵士達が訓練をおこなっていた錬武台に行きました。
有事のときは将軍が指揮を執る場所でもあり、壁は無くて遠望でき見晴らしが良いです。
錬武台の前の広場には、兵士が練磨した国弓撃ちの体験できる場所があるそうです。
見事な眺めで、しばし休憩して景色を楽しむカップルもいました。
しばらく歩いて坂を登りますと「東北空心墩」に着きました。
「空心墩」とは、物見櫓の強固なものです。
華城築城で初めて取り入れられ、西北、南、東北の3つの空心墩があるそうです。
レンガで出来ているので火攻めに有効だと感じました。
「蒼龍門」を潜る(東門・青旗)
私たちが通った観光バス停留所の近くにあるのが「蒼龍門」です。
蒼龍は風水で言う左青龍であり、東側を意味するそうです。
城門保護のため、半円型の甕城があり片方が開いた状態の変わった作りです。
この城門を出たところで、ガイドさんが休憩&近辺散策グループと、全体周遊グループに分けました。
私たちは体調が良かったので、全体周遊グループについて行きました。
城壁を回りましたが、急勾配の坂は無くて、ゆったりした歩道なので来て正解でした。
城壁は様々な工夫が施されていて、当時の新しい革新的な技術が総動員されているようでした。
防衛技術もさることながら、非常に美しい幾何学的文様と横縦高下の曲線美は高い芸術性に値するものでした。
また200年前の城郭と、近代的なビル群を借景としながら、そのコントラストが歴史の深みを物語っており、見応えのある水原華城でした。
城壁を降りて行きますと、「東北角楼・訪花随柳亭」が見えて来ました。
軍事目的だけでなく、景観も楽しむ東屋の働きも持ちます。
独特な平面と屋根の形をしており、見る場所によって異なる姿を目にすることができます。
最も美しい「華虹門」の石橋を渡る
最後の見学の「華虹門(ファホンムン)」に着きました。
華虹門は水原華城で最も景色が美しいといわれています。
水原華城で唯一の水門で、7つのアーチ型の水門の石橋の上に楼閣が建ち、川の氾濫や敵の侵入を防ぐ役割をしました。
水門から迸る水しぶきが、虹のように輝いて見え虹の命名がなされました。
多くの若者の観光客が、楼閣で休んでいました。
私たちも、多くの距離を歩いて喉も渇き、疲れてしまいました。
見ると真正面にソフトクリームのオブジェのある喫茶店がありました。
喉が渇ききっていましたので、躊躇なく飛び込みました。
ソフトクリームには、イチゴやバニラなど10種類くらいありましたが、マンゴソフトクリーム2個、9,000ウォンを注文しました。
甘酸っぱいマンゴの味の詰まったソフトクリームをいただき、体の芯まで冷えて快適な気分になりました。
近くの駐車場にツアーバスが待っており、乗り込み次の観光地に向かいました。
まとめ
「水原華城」の観光は初めてなので、少し調べて予備知識を得てから向かいました。
イ・サンの凄まじいまでの親孝行は、儒教精神からでしょうか。
韓国で最強の風水の吉祥地に、父の墓地を移設し、その墓を護るために広大な華城を築造する。
水原華城は、この「孝行心」のみでは無いと思いました。
日本でも王朝時代にあったように、政敵との戦いに勝利し親政するために遷都の必要があったのでしょう。
またソウルの南側は、地政学的に防衛を強化しなければならない理由があったのでは無いかと思いました。
中国や韓国の、王朝時代の歴史ドラマをたくさん見て感動しました。
フランスの没落した王朝、イギリスや日本の民主主義の中での王制のあり方など、各国の歴史の中から現地に身を置いて体感することが、旅の醍醐味を感じます。
水原華城を築造された正祖大王様、今日まで守ってこられた方々にお詫びと共に感謝をいたします。
また華城を運営される全ての皆様に、敬意と感謝を捧げます。
ありがとうございました。
カムサハムニダ!!
See you(^^♪
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