みなさま、こんにちは♪
私たちシニア夫婦は、「京都旅行」を2泊3日ですることを決めました。
コロナのため3年ぶりの旅となりました。
メインは、1日目は「京都国立博物館」、2日目は「妙心寺」、3日目は「建仁寺 両足院」としました。
妙心寺は、夫の実家の菩提寺であります。
京都はよく旅行しますが、陽的な観光名所のお寺さまは何回も行きますが、陰的な宗教的に奥深いお寺さまは、ついつい遠慮して行っていません。
私にとって妙心寺さんは後者の方であり、まだ一度も本山に参詣したことがありませんので、今回はとても良い機会となりました。
しかし、有名な「妙心寺」さんのことはほとんど知りませんので、参詣にあたり最低限のことを知りたいと思いまして、次の3点を調べて整理しました。
旅は、失敗やハプニングも多々ありましたが、結果的に大変満足のいく感動の旅行ができました。
みなさまの旅の参考に少しでもなれば幸いです。
妙心寺のお寺の特徴は何だろうか?
「妙心寺(みょうしんじ)」は、京都市右京区にある、臨済宗妙心寺派の大本山です。
山号は「正法山」、本尊は「釈迦如来」、開基(創立者)は「花園天皇」、開山(初代住職)は「関山慧玄禅師」(無相大師)です。
「お釈迦様」から始まり、インドの「達磨大師」から中国の「臨済禅師」を経て、妙心寺開山「無相大師」へと受け嗣がれ、禅を宗旨と教義にしています。
1337年、95代の「花園法皇」の勅願によって創建された妙心寺の開山「無相大師」の法流は、4派に分かれ、全国3,350ヵ寺に広がっています。
日本にある臨済宗寺院は、約5,650か寺ありますので、実に59%を妙心寺派が占めています。
近世に再建された三門、仏殿、法堂などの中心伽藍の周囲には、多くの塔頭(46ヶ寺)が建ち並び、一大寺院群を形成しています。
平安京範囲内で、北西の12町を占め自然も多いため、京都市民からは「西の御所」と呼ばれ親しまれています。
その規模と歴史的な価値から、妙心寺の境内は全て国の史跡に指定され、厳重に保護されています。
妙心寺のみどころは何だろうか?
妙心寺の見どころは、何といっても「境内に整然と立ち並ぶ修行を主とする質実剛健な禅様式の美しい大伽藍」であり、それはまさに圧巻で、その光景をもって「西の御所」とも呼ばれています。
その妙心寺みどころ10選として紹介します。
妙心寺のみどころ10選
妙心寺境内の南側に位置する門で、江戸時代(1610年)の建立です。
仏殿、法堂へ行く妙心寺の中心線に位置する門で、今は開かずの門です。
妙心寺境内の北側に位置する門で、江戸時代(1610年)の建立です。
朱色が美しい楼閣風の建物で安土桃山時代(1599年)の建立です。
安土桃山時代の1583年の建立で、妙心寺ご本尊の釈迦如来像が祀られています。
天井は、狩野探幽作の「雲龍図」を見られ、日本最古の「黄鐘調の鐘」(国宝)があります。
大方丈への玄関で、江戸時代(1654年)の建立です。
檜皮葺のとても立派な建物で、江戸時代(1654年)の建立です。
内部は土間と台所(大庫裏、小庫裏)があり、江戸時代(1653年)の建立です。
浴室で身を清めることも禅の修行で、江戸時代(1656年)の建立です。
みどころは修行を重んじ厳しい禅の気風
京都市の北部に位置し、観光化されず、修行を主とし、権力におもねらない歴史と質実剛健の気風を感じさせる寺院建築と庭園、寺領の雰囲気に心打たれる思いでした。
勅使門の正中から一直線に伸びる三門、仏堂、法堂の三つの大伽藍の並びの迫力は、流石に「「日本最大の禅寺」です。
法堂の天井にある、狩野探幽筆の「雲龍図」の眼の動きと、国宝「梵鐘:黄鐘調の鐘」の音の深さには魂を打たれました。
妙心寺はなぜ京都五山に入っていないだろうか?
私は、臨済宗の60%を占める「妙心寺派」が京都五山に入らないのは大変不思議に思いました。
その権力的な歴史は、何だろうかと興味が湧きました。
京都の禅寺は、五山十刹(ござんじゅっさつ)を名のる室町幕府の庇護と統制下にあるグループ(禅林)と、そこに入らない在野の寺院(林下)とがありました。
妙心寺と大徳寺は、修行を重んじ厳しい禅風の「林下」の代表的な寺院です。
妙心寺の開基の花園法皇の禅の師は、大徳寺開山の宗峰妙超(大燈国師)でした。
花園法皇は、臨終間近の宗峰に次の師を尋ねたら、宗峰は高弟の「関山慧玄」を推挙しました。
関山慧玄の禅風は厳格で、修行に明け暮れ、その生活は質素を極めたそうです。
また妙心寺6世住持の「拙堂宗朴」は、足利氏に反した大内義弘と関係が深かく、将軍足利義満の怒りを買いました。
義満は、妙心寺の寺領や建物を没収して自分の子や弟に与えました。
この結果、妙心寺は一時廃絶してしまいました。
その後数十年を経て、「関山慧玄」の流れを汲んでいる「日峰宗舜」が妙心寺を再興させ、妙心寺中興の祖とさました。
そのような理由で、妙心寺は京都五山に入りませんが、その気骨な気風は、参詣を通して体感する大きな価値があると確信します。
ちなみに、京都五山は、南禅寺・別格、天龍寺・第一位、相国寺・第二位、建仁寺・第三位、東福寺・第四位、万寿寺・第五位です。
十刹は、廃寺も多くあり変化が激しく変わっていますので、統制に翻弄されたような感じです。
私は電車で京都・花園駅に向かう(体験談)
妙心寺へ行くために、宿泊していたホテルから京都駅(4分)へ歩いて行き、携帯のスイカで改札を通りました。
山陰線は、昔は0番線(全国であまりなかったので有名)でしたが、32番線に変わっており驚きました。
嵐山に行くインバウンドで満員でしたが、12分ほどで花園につき片道200円でした。
徒歩で、妙心寺の東側にある花園会館一階の「花ごころ」という料理店を目指しました。
食事をするには早かったのですが、お寺様の精進料理を食べようと計画していたので寄りました。
修学旅行生や団体さんも多くて、満席で丁寧にお断りされ精進料理を諦めました。
妙心寺の南総門(重要文化財)を入る
妙心寺みどころ❶の南総門で、境内の南側に位置する門で、花園駅から最も近いです。
慶長15年(1610年)建立され、切妻造、本瓦葺きの薬医門で北門とほぼ同じ構造です。
「妙心寺」は、東西500m、南北600m、10万坪、東京ドーム7個分の敷地に本山の七堂伽藍と46もの塔頭が重なります。
飛地にある有名な庭園の「龍安寺」も妙心寺境内になるそうです。
西の御所と言われるほど広いので、とても半日では観ることができないので、ご縁のあるところへお参りしたいと思いました。
南総門から入り、受付を訪ねましたら入場券は建物ごとに違うそうで、妙心寺山内図をいただきました。
南総門の西隣に、慶長15年(1610年)に建立された、勅使門(重要文化財)があります。
山門や放生池など主要伽藍の正面正中に位置し、勅使や住持が普山する際に用いられます。
正中の奥に、慶長4年(1599年)に再建された、三門(重要文化財)があります。
上層には円通大士(観音)と十六羅漢像を安置されています。
警備員さんに、檀家なので「ご本尊様にお参りしたい」と申し上げましたら、仏殿を教えてくださいました。
仏殿(重要文化財)でお参りする
他の諸堂より新しく、文政10年(1827年)再建された、入母屋造りです。
ご本尊様は、釈迦如来で1573年ごろの作です。
脇侍は摩訶迦葉と阿難尊者、本尊の後方には達磨大師、百丈禅師や臨済禅師を祀る祖師堂、道教の神を祀る土師堂、利貞尼、見性院、明智光秀などの功労者の位牌を祀る祠堂があるそうです。
仏殿の前で「釈迦如来様」に、ご挨拶をいたしました。
暗い中、お釈迦様の立像が立ち、奥に多くの像があるように感じられました。
夫は、「数百年に渡り先祖を供養していただいたことに感謝の祈りを捧げた」と言っておりました。
次は大法院を目指しました。
妙心寺の大法院で且坐喫茶をする
妙心寺塔頭「大法院」の新緑の露地庭園が、特別公開され、且坐喫茶(しゃざきっさ:まあ、坐ってお茶でも一服召し上がれと言う禅の言葉)を4/1~5/5、9:00~16:00まで行われると聞きやって来ました。
塔頭(たっちゅう)の「塔」とは「お墓」の意味です。
本来はお釈迦様のお墓のみを言いましたが、やがてお墓一般をいうようになり、本山の住持(トップ)や高僧が引退したり逝去されたら、お寺を作り隠居しお墓として弟子が守りました。
大法院は、信州松代藩主であった真田信之(幸村の兄)の所縁のある寺で、真田家一門や兵法学者佐久間象山のお墓があります。
院の主のような禅に精通する簡素な女性が「お運び」をしてくださいました。
少し緊張しましたが(良い意味で)、礼をして一口大福をいただきました。
片栗粉が入った柔らかいお餅に、甘さを抑えた餡が疲れを癒します。
ほろ苦い薄茶を、いただき心が落ち着きました。
いただいたら、先ほどの女性が5人分の茶碗やお皿を片付けながら「この天目茶碗は軽くて簡単に持ち運びができて重宝しています」と気さくに話しかけられました。
カメラマンの男性と若いおひとり様の女性が2人と、私たちとで5人でした。
それぞれ静寂な露地庭園を楽しまれ、満喫しておられるようでニコニコ顔でした。
カメラマンは、紅葉シーズンにもう一度訪ねたいと話して帰られました。
妙心寺の大方丈を見学する
大方丈の玄関(重要文化財)は、承応3年(1654年)に再建された檜皮葺で、玄関の前に唐破風を備えた真前唐門があり、見事なものでございます。
拝見受付所である寝堂(重要文化財)は、明暦2年(1656年)建立された入母屋造りで、現在は法堂で儀式が行われる際の控えの間です。
その受付所で、妙心寺の法堂、大方丈、大庫裡の入場券(700円)を求めました。
最初に大方丈に行きましたが、法要の最中で見学できませんでした。
大方丈(重要文化財)は、入母屋造、檜皮葺で、承応3年(1654年)再建され、障壁画は南側3室は狩野探幽、北側3室は狩野洞雲の作です。
大方丈庭園(国指定史跡・名勝)は、苔が配され詫びた風情の枯山水庭園として広がり趣を醸し出しています。
方丈は住職の住まいを意味するそうですが、現在は檀家の先祖様を祀っているそうです。
大方丈は、巨大な建物ですが、ひときわ目を引くのが、久下に掛けてある「妙心寺派寺院名標」です。
日本にある臨済宗寺院約5,650ヶ寺の内、約3,350ヶ寺を妙心寺派が占めているそうです。
全てのお寺が、県または地域ごとに名前が書いてありました。
夫は一生懸命探していましたが、偶然か必然か目の前に、我が家の菩提寺名があり驚いていました。
今日はご先祖が導いてくれたのではないかと言っておりました。
妙心寺の法堂を見学する
次に法堂に行きました。
法堂(重要文化財)は、明暦3年(1657年)再建され、入母屋造りで、ケヤキの柱は富士山麓より運ばれたそうです。
狩野探幽の大傑作の「雲龍図」!!
法堂の天井には、8年かかった完成した狩野探幽の大傑作と言われる、迫力満点の「雲龍図」が描かれています。
どの場所から見ても、龍の目線を感じられることから「八方睨みの龍」とも呼ばれています。
見る角度で、その表情が変わります。
尻尾の方から見ると、空へと昇っていく龍の姿が見えます。
頭の方から見ると、空から降りてくる龍の姿が見えます。
どこから見ても、龍が波打つように動いて追いてきて目がチカっと合うのです。
この龍は自分の中にいるのでしょう、そしてみんなの中にいるのだと思いました。
国宝の梵鐘「黄鐘調の鐘」!!
法堂の中には、国宝の梵鐘「黄鐘調の鐘」が展示されています。
文武天皇2年(698年)の銘文があり日本最古の紀年銘鐘です。
九州筑紫で制作され、大宰府の観世音寺の鐘と兄弟鐘になります。
法堂の北西の鐘楼にかかっていましたが、現在は法堂内に移設展示されています。
音色が雅楽の黄鐘調に合うので、古来「黄鐘調の鐘」として著名で、「徒然草」にもこの鐘のことが記されています。
CDで鐘の音を聴くことができました。
筑紫の観音寺の国宝の梵鐘は、「九州国立博物館見どころ【体験談】アジア史的観点から日本文化を見る」でBLOGしましたのでご縁を感じました。
妙心寺の法堂は、修学旅行生でいっぱいでした。
法堂天井の狩野探幽作の「雲龍図」が、最も高い人気のある大伽藍だと感じました。
妙心寺の庫裏(くり:台所)を見学する
大方丈の北側にそびえる建物が、庫裏(台所)です。
庫裡の高さと規模と迫力には驚きました。
鬼平犯科帳など、様々な映画のロケ地として使用された、庫裡周辺です。
特徴は入り口から入って、すぐにある大広間のような大きな廊下です。
映画の舞台として、納得できるほどに美しく磨かれて輝いていました。
奥へ奥へと進むと、土間と「大庫裏」と「小庫裏」の2つの庫裏があります。
大庫裏には、1つにつき200合のご飯を炊ける釜が5つも並んでいます。
食事を豊かにするための、調理の工夫を凝らした数々造りや仕掛けがありました。
大庫裡の、その規模の大きさに驚き、日本中からお坊さんが集まって修行したことや、花園天皇という国家の中心の権力と仏教で国を治めることと、衆生の苦しみの救いを求めた、大きな息吹が集約してできたものではないかと想像を膨らませました。
妙心寺の退蔵院を拝観しました
最後の拝観地の退蔵院は、妙心寺三祖、「無因宗因」が波多野重通の援助により、応永11年(1404年)に創建しました。
「退蔵院」とは、「価値あるものをしまっておく」という意味で、陰徳(人に知られないようにして良い行いをする)を積み重ね、それを前面に出さずに内に秘めながら生活するという意味があるそうです。
退蔵院の目玉は「瓢鮎図」(国宝・最古の水墨画)で、将軍足利義持の命により「如拙」(山水画の始祖)が心血を注いで描いた最高傑作と言われる。
「小さな瓢箪で大きなナマズを如何に捕えるか」という禅の問答に、京都五山の高僧31人の回答が記されています。
興味津々ですね。
いつか調べてみたいと思いました。
本堂に模本があり、原本は京都国立博物館に寄託されています。
素晴らしい庭園は沢山ありましたが「元信の庭」(史跡名勝・枯山水庭園)は、画聖・狩野元信が最後の作品として絵を立体的に表現し、背景は常緑樹とし「普遍の美」を求めたと考えられています。
目の覚めるような美しさを感じました。
そろそろ、日が傾いてきました。
今日は花園駅から始まり、花園会館、南総門、勅使門、三門、仏殿、大法院、玄関・寝堂・受付、大方丈、大方丈庭園、大庫裡、法堂、退蔵院、南総門を出て花園駅に着きました。
12ヶ所を巡り、大変疲れました。
しかし、修行中心で厳しい禅風の大伽藍に圧倒されて、観光に媚びない質実剛健な気風の中に優しさを感じる「妙心寺」を体感できて幸せでした。
花園駅から次の見学地に向かいました。
まとめ
私たちシニア夫婦は、「京都旅行」を2泊3日で行きました。
2日目の妙心寺さんは、まだ一度も本山に参詣したことがありません。
有名な妙心寺さんのことはほとんど知りませんので、参詣にあたり最低限のことを知りたいと思いまして、次の3点を調べて整理しました。
「お釈迦様」から始まり、インドの「達磨大師」から中国の「臨済禅師」を経て、妙心寺開山「無相大師」へと受け嗣がれ、禅を宗旨と教義にしています。
三門、仏殿、法堂などの中心伽藍の周囲には多くの塔頭(46ヶ寺)が建ち並び、一大寺院群を形成しています。
何といっても「境内に整然と立ち並ぶ修行を主とする質実剛健な禅様式の美しい大伽藍」です。
法堂の天井にある、狩野探幽筆の「雲龍図」の眼の動きと、国宝「梵鐘」の音の深さには魂を打たれました。
京都の禅寺は、五山十刹を名のる室町幕府の庇護と統制下にあるグループ(禅林)と、そこに入らない在野の寺院(林下)とがあり、妙心寺は、修行を重んじ厳しい禅風の「林下」の代表的な寺院です。
開山の関山慧玄の禅風は厳格で、修行に明け暮れ、その生活は質素を極めたそうです。
この度は、南総門、勅使門、三門などを見学しながら、仏殿でご本尊様にお参りし、大法院で且坐喫茶を行い、大方丈・大庫裡・法堂・退蔵院を見学しました。
「林下」の代表的寺院の厳しい禅風を満喫しました。
京都の奥深い古刹の発する歴史の重さに心が洗われ満たされました。
お釈迦様、達磨大師様、臨済禅師、無相大師様、花園法皇様、妙心寺の皆様、ありがとうございました。
コロナが終息して3年ぶりの、令和5年の4月は京都、5月は沖縄、6月は福岡・佐賀に旅に出ました。
久しぶりなのでシニア夫婦として、様々な発見と学びがありました。
下記に記しましたので、興味があります方はご覧ください。
「京都旅行おすすめ【2泊3日体験談】京博・古刹・座禅・温泉・総集編」
「沖縄旅行おすすめ【シニア夫婦の体験談】感動の琉球2泊3日の総集編」
「福岡・佐賀旅行おすすめ【シニア夫婦体験談】感動の2泊3日の総集編」
皆様の旅の参考になれば幸いです。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
See you(^^♪
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