ベトナム観光【統一会堂】72歳夫婦が体験

シニアの旅(国内・海外旅行)

はじめに

みなさま、こんにちは(^^♪
私たちユルバ夫婦(72歳)は、A旅行社のツアー「ベトナム3都市めぐり5日間」に参加しました。

1月末から2月初めにかけて、福岡空港→ハノイ空港→ホーチミン空港→福岡空港で行ってきました。

今回は、4日目の観光であるホーチミン市の「統一会堂」をご紹介します。

統一会堂(入場観光・60分)

前の庭でバスを降りて、歩いて建物に向かいました。多くの西洋人や東洋人の観光客でいっぱいでした。ガイドさんの説明を聞きながらの60分観光です。結構はしょって回りました。

この「統一会堂」は、ホーチミン市にある「南ベトナム大統領府」などに使われた近代歴史を物語る建物です。フランスの白いコルビジェ風の建造物に感じました。

1868年にベトナムは「フランス領インドシナ」として植民地支配されました。この建物は「ノロドム宮殿」として建設され、1945年までフランス総督の住居として使われました。最初に入った1F会議室はグリーンを基調にした大きな部屋でした。

第二次世界大戦中は日本の行政事務所でした。戦後の1946年、インドシナ半島を植民地支配していたフランスと、独立を目ざす「ベトナム民主共和国」との間で戦争が起きました。写真はインドシナ半島の多くの国々の会議の緊張感を醸し出します。

1954年に休戦し、フランス軍が撤退すると、ベトナムは北緯17度線を境に南北に分断されるという悲しい歴史を持ちます。立派な絨毯の敷かれた豪華な多目的室のように感じました。

1954年の「ディエンビエンフー陥落」後に、「ジュネーヴ協定」が締結され、フランスが撤収、1955年に「ベトナム共和国(南ベトナム)」が成立し、この建物は「独立宮殿」と改名されました。

1962年にゴ・ディン・ジエム政権へのクーデターの際に、ベトナム共和国空軍による爆撃でこの建物は大破し、後に取り壊されました。

フランスとベトナム建築の融合

1966年に、南ベトナムの建築家「ゴ・ベト・チュー」による現代建築として再建され、ベトナム共和国の大統領府及び官邸として3代の大統領が使用しました。写真にある模様は、ベトナムの竹林を連想させる「竹」が描かれています。

ホール中央には、龍を形取った迫力ある豪華な絨毯が置かれていました。

数々の客間は、中央にベトナムの伝統絵画が飾られ、西洋とベトナム文化が融合した雰囲気を醸し出していました。

最上階には、真ん中に天空が広がり、日本庭園風の木々と岩と池の並ぶ庭園がありました。

ミュージカルに見るサイゴン陥落のフェリ

昔、「サイゴン陥落」と言うミュージカルを見たことを思い出しました。当時のフェリコプターと思えるものが最上階のフェリポートに展示されていました。

サイゴン陥落のソビエト製戦車

1975年のベトナム戦争終結時に、市内に突入した北ベトナム軍の「T-54戦車」が、この建物のフェンスを破ることで、南ベトナムの首都サイゴンは陥落しました。

その際の映像は「一つの国が消滅する瞬間」として全世界に配信され有名になり、現在でも、その当時のソ連製の戦車が敷地内で展示されています。

1976年に、共産主義の統一国家である「ベトナム社会主義共和国」が成立した後に「統一会堂」と改名され、現在は南ベトナム大統領府当時のままで保存され、博物館として公開されています。

2階の正面のベランダから眺めると、中央の噴水、周りのゲートが見えます。このゲートを戦車が破って突入してサイゴンは陥落しました。

まとめ

共産主義・社会主義陣営と資本主義・自由主義陣営が真っ二つになったのが南北ベトナムでした。統一会堂は南ベトナムの中心となる建物でした。歴史の興亡が繰り返す舞台となった統一会堂は、内部も広く見応えがありました。

韓国の青瓦台の雰囲気がありました。多くの人々の思いの交錯した建造物の中で、その歴史をリアルに肌身で体験して、その想いを噛み締めたいと思いました。

ありがとうございました。

See you(^^♪

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