幻の都に吹く川風|ファティープル・シークリー・73歳夫婦が歩いた赤砂岩の世界遺産

人生エッセイ(芸術・文化・日常・生き方)

元気を取り戻して、午後の世界遺産へ

みなさま、こんにちは(^^♪

私たちユルバ夫婦(73歳)は、A旅行社のツアー「復路ビジネスクラス利用・8つの世界遺産をめぐるインド5日間」に参加しました。

アンベール城でのジープ酔い、ジャイプールでの休憩——体をゆっくり休めたユルバは、この6番目の世界遺産「ファティープル・シークリー」で完全に元気を取り戻していました。

「シニアは体調を一番に、全体を俯瞰して回ることが大事」。この旅で身をもって学んだことが、ここで生きました。

ジャイプールからアグラへの移動途中、バスが止まったのは広大な駐車場でした。世界遺産の敷地まではまだ距離があります。ここからは——

▲ゴーカートに乗る73歳のユルジとユルバ

ゴルフ場のゴーカートを大きくしたような電動カートに乗り換えです。風を切って進む感覚が心地よく、乗り込んだ瞬間に「これはいい!」と声が出ました。午後の西日が強く、降りた瞬間のクラクラするような40℃超えの暑さも、カートの涼しさで少し楽になっていました。

▲を降りた駐車場付近のジャイプール街道

世界遺産6の「ファティープル・シークリー」とはどんな場所か

▲遺産登録の金色の盾

「FATEHPUR SIKRI」——金色の盾に刻まれた文字が、正午の光を受けて輝いていました。1986年、ユネスコ世界文化遺産に登録されたこの場所の正式な証です。

ファティープル・シークリーは、ムガル帝国3代皇帝アクバル大帝(在位1556〜1605年)が築いた都城です。アクバルはインド史上最も偉大な皇帝のひとりとされ、ヒンドゥー教徒やジャイナ教徒を含む異なる宗教・民族を寛容に包容し、広大な帝国を統治しました。

この都が生まれた背景には、ひとつの「奇跡」がありました。

聖者の予言と、子どもの誕生

アクバル大帝には長年、世継ぎが生まれませんでした。広大な帝国を治めながら、後継者がいないという不安が、彼を悩ませ続けていました。

あるとき、アクバルはアグラ郊外の丘に住むイスラムの聖者「シャイフ・サリーム・チシュティー」のもとを訪れ、息子を授かれるよう祈願しました。聖者の予言通り、1569年に皇子が誕生。その子は後のムガル帝国4代皇帝「ジャハーンギール」となります。

感激したアクバルは、この聖者が住む丘の上に新しい都を建設することを決意しました。1571年着工、1585年頃にほぼ完成。赤砂岩を積み上げた壮麗な宮殿群、謁見の間、後宮、モスク——すべてが一から建てられた計画都市でした。

都の名は**「勝利の都」**を意味するファティープル・シークリー。まさに皇子誕生という「勝利」を記念した名前です。

しかし都は、14年で捨てられた

ところが——。

この輝かしい都に、アクバルが実際に滞在したのはわずか14年でした。

理由は「暑さと水不足」。砂漠に近いこの地は、夏の気温が極めて高く、都全体を支えるだけの水源が確保できなかったのです。1585年、アクバルは軍事的な理由もあってラホール(現在のパキスタン)へ移り、ファティープル・シークリーはほぼ放棄されました。

14年で「幻の都」となったこの場所は、しかし建物が壊されることなく、砂漠の乾燥した気候の中で奇跡的に保存され続けました。400年以上の時を経て、今私たちが目の前にしているのは——誰も住まなくなった宮殿が、そのままの姿で残る「止まった時間」です。

あの暑さと水不足のため14年で戻られたとか」とガイドさんが教えてくれた言葉を聞いたとき、私たち自身がその暑さの中にいる、ということが、なんともリアルに感じられました。

川風の通り道を考えた建築の知恵

▲整備された芝生の中庭と宮殿棟

▲広大な中庭と宮殿群の全景

城内を歩いていると、ふと風が涼しく感じられる瞬間がありました。

ガイドさんの説明によると、この宮殿は川の方角から来る風の通り道を計算して設計されているとのこと。窓の向きや回廊の配置が、自然の風を取り込む「天然エアコン」の役割を果たしているのです。

日本の伝統的な家屋も、夏の風を通すために縁側や障子・ふすまを使う「夏仕様」の設計がされています。気候への知恵は、時代も国境も超えて通じ合う——そんなことを、赤砂岩の廊下を歩きながら感じました。

▲室内の精緻な幾何学模様の天井彫刻

▲柱廊の細工と奥に続く回廊

天井や柱の彫刻の細かさは、近づけば近づくほど驚きが深まります。格子状の透かし彫り、星形の幾何学模様——石をここまで繊細に彫り上げる職人の技術に、ただ圧倒されます。美しい!!

ディーワーン・イ・ハース 一本の柱が支える奇跡の空間

▲ディーワーン・イ・ハース外観

▲中央の一本柱と放射状の通路

城内で最も印象的だったのが、**ディーワーン・イ・ハース(私的謁見の間)**です。

外観は2階建ての端正な建物ですが、内部に入ると——中央に一本だけ立つ巨大な柱が目に飛び込んできます。その柱の頭部から四方に向かって石造りの橋が伸び、2階の回廊と連結しています。アクバルはこの橋の中心、柱の真上の台座に座り、四方から集まる臣下や賢者たちと対話したと伝えられています。

ヒンドゥー、イスラム、キリスト教、ゾロアスター教——異なる宗教の賢者たちがこの場所に集い、アクバルと宗教哲学を議論しました。一本の柱が四方を支えるこの構造は、「すべての宗教を等しく受け入れる」というアクバルの思想そのものを体現しているかのようです。

▲奥へと続く石の扉と回廊の奥行き

パンチ・マハル 風を集める5層の塔

▲パンチ・マハルの多層構造

城内でひときわ目を引く5層の塔がパンチ・マハル(5つの宮殿)。最上層は小さな亭のような造りで、周囲360度の眺望が開けています。

各層ごとに柱の数が減っていき、最上部はわずか1本。この構造が風の通りを最大にするよう設計されており、猛暑の中でも最上部には涼風が吹き抜けます。後宮の女性たちがここで涼をとったとも伝えられています。

▲広場の片隅に車椅子の人の姿

この場所を訪れる人は今も多く、車椅子で来られた方の姿もありました。世界遺産を誰もが訪れられるよう、少しずつ整備が進んでいるようです。

15分の自由時間 風の日陰で

頂上付近での15分の自由時間。私たちはすぐに風の通る日陰を探し、腰を下ろしました。背中は汗でべったりでした。

しばらくすると、インドの男の子が近づいてきました。手振り身振りで「家族と一緒に写真を撮ってくれ」と頼んでいます。集合時間が近かったこともあり、「ノー」と断りました。子どもは首を傾げます——なぜ断るのか、理解できない様子でした。後から4人のご家族もニコニコしながらお願いしてきましたが、笑顔で申し訳なさそうに「ノー、ノー」と言って立ち去りました。

後ろ髪が引かれました。背中が痛みました。

インドでは外国人観光客がまだ少なく、観光地で外国人と一緒に記念撮影をする文化があるそうです。ガイドさんからは「受け始めるとキリがないので、適当なところで断るように」と言われていました。

ツアーの若いお母さんと娘さんは、至る所で声をかけられ、たくさんの記念写真に収まっていたようです。「旅の思い出の配当の複利は凄い」という言葉を聞いたことがあります。若いということは、本当に素晴らしい。

▲庭園の道をユルバと一行が歩く後ろ姿

王の律儀さを思いながら、都を後にした

▲風にはためくインドの国旗

出口には、インドの三色旗が風に音を立ててはためいていました。

聖者のおかげで子どもを授かり、その感謝のために都を築いた王。わずか14年で都を去らなければならなかった王。でもその都は400年以上、砂漠の風の中で静かに残り続けました。

その律儀さと、その無常を、炎天下で汗を拭きながら思いました。

この都を去るとき、アクバルは何を感じたのでしょう。私たちは、この都を後にするバスの中で、そのことをしばらく考えていました。

シニア旅行者への実用情報

アクセスについて

アグラから西へ約40キロ、車で約1時間。ツアーバスでの移動が最も快適です。駐車場から遺跡入口まではゴーカート(電動)で移動できます。料金はツアー込みの場合が多いですが、個人の場合は別途確認を。

城内の歩行について

入口から各宮殿まで、石畳と砂岩の広場が広がります。日陰が少なく、午後は西日が正面から当たります。帽子・日傘・飲み物は必携。杖があると安心です。

暑さ対策について

5月のファティープル・シークリーは40℃を超えます。見学の合間に日陰で必ず休んでください。私たちは宮殿の風の通る日陰で何度か腰を下ろしながら回りました。無理をしないことが、翌日の観光への最善の準備になります。

写真撮影のリクエストについて

外国人に記念撮影を求める文化があります。体力に余裕があれば応じるのもよい思い出になりますが、断っても全く失礼ではありません。笑顔で「ノー」と伝えれば、インドの方々は理解してくださいます。

基本情報

項目 内容
正式名称 ファティープル・シークリー
世界遺産登録 1986年(文化遺産)
建造年 1571〜1585年頃
所在地 ウッタル・プラデーシュ州、アグラ県
開館時間 日の出〜日没
入場料 外国人:約610ルピー(2025年時点)
アクセス アグラから車で約1時間(約40km)

ありがとうございました。

See you(^^♪

コメント

タイトルとURLをコピーしました