はじめに
こんにちは(^^♪
私たち72歳のシニア夫婦は、9月中旬に3泊4日の北京旅行ツアーに参加しました。
A旅行社主催の「添乗員同行・万里の長城&パンダ鑑賞・北京ダックを楽しむ旅(1人10万円)」です。
今回は、3日目に「頤和園(いわえん)」を観光しましたので、シニア夫婦ならではの工夫や感想をお伝えします。

頤和園(いわえん)の概要
「頤和園(いわえん)」は、中国の中でも歴史的な建造物が数多く、格別な存在です。
広大なエリアに、破壊と再建を繰り返され、歴史を感じさせる風景が広り、観光地として大人気です。
頤和園は、北京の「北西部郊外」に位置する大規模な景観庭園で、市街地から15キロ離れた場所にあり、最もよく保存された皇室の行宮の庭園で、「皇室庭園博物館」とも呼ばれています。
頤和園の主な観光スポットは「万寿山」、「昆明湖」があり、中国の歴代皇帝により整備され、敷地面積は297ヘクタールと広大です。
園内には、7ヘクタールにわたり、さまざまな古代の宮殿と庭園が現存しています。
貴重な文物コレクションも有名で、中国の第1陣の「重点文物保護機構」と指定されました。
頤和園がある北京市海淀区には、多くの大学があり、中国のシリコンバレーとも呼ばれ、政府や企業などの情報技術関連の研究機関が集結しています。
1998年にはユネスコの世界遺産に登録されるなど、世界的にも高く評価されています。

頤和園の歴史
頤和園がある北京西北部は、12世紀に北京一帯を支配していた「金王朝」が、すでに皇室庭園を造っていたと言われています。
1750年頃、清の乾隆帝が母の還暦を祝うために、その土地に頤和園の前身である「清イー園(せいいえん)」が建設されましたが、後に清が衰退し荒廃してしまいます。
「杭州の西湖」を模して作られた人工湖「昆明湖」と、その掘削土砂で築かれた「万寿山」を中心に配置された、壮大な山水庭園で、主に景観が重要視されていました。
1860年の「第二次アヘン戦争(英仏連合軍の侵攻)」により、「清イー園」は完全に破壊され、荒廃しました。
1884年から1895年にかけて、当時の権力者である「西太后」の夏の避暑地という形で再建されたのが、「頤和園」です。
頤和園の再建は、西太后の肝いり政策でしたが、これをきっかけに清王朝は完全に滅亡してしまいます。
1900年には、「義和団事変」により「八カ国連合軍」が北京に侵入して、頤和園は再び破壊されました。
しかし、西太后は動じることなく、1902年に巨費を投じて復旧を進めます。
その後、皇室の私有財産という形で1914年から有料で一般開放され、現在は北京を代表する観光地(世界遺産)です。
「皇家庭園博物館」とも呼ばれ、「佛香閣、長廊、石舫」などが有名です。

ホテルをツアーバスで出発
この日は7時半に出発のため、6時に起床。
洗面、朝食を済ませ、35名のツアー客と共にバスに乗車。
座席は自由席のため、私たちシニア夫婦は毎回バスの出入口付近を確保しました。
トイレ休憩にも便利です。
今回は参加者の中で最年長夫婦のようでしたので、周囲に迷惑をかけないよう気を配りました。

頤和園に到着する
バスを降りたら、すぐに頤和園の入場門がありました。歴史に名高い庭園に入れるのでワクワクした高揚感を胸に、中に入りました。正面には「頤和園」と書かれた扁額がかかっていました。

世界遺産「頤和園」に入場
入場したら「仁寿門」と書いた扁額がかかっている門が階段の上にありました。扁額には左は漢字、右は満州文字のような字が書いてありました。夫はモンゴル旅行で見た字と似ていると言っていました。清時代は満州族の「愛新覚羅」の政権でしたので、満州文字が連署してあるのだと思います。

仁寿門をくぐると美しい松林の庭園に入りました。驚いたのは写真にあるような奇岩があちこちに聳えていました。地元の学生さんや観光客でごった返していました。

こちらの館は「仁寿殿」「大圓寶鏡」と書いた扁額が掛かっていました。きっと高貴な方々、西太后さんなどのお部屋ではないかと拝察しました。

頤和園の4分の3を占める「昆明湖」
庭園などを、グルグルと巡っていましたら、急に広い場所に出ました。見ましたら広い池のような湖にようなところに出てきました。涼しい爽やかな風が吹いてきます。
ガイドさんが、「頤和園の中で、最も広い面積を占めるのが昆明湖です」と言われました。

昆明湖は、頤和園の4分の3の面積を占めており、周囲を見渡せば必ず昆明湖が目に入るほどの広さがあります。
単なる湖ではなく、所々に島が配置され、特に南にある島に十七孔橋が架けられているのが特徴だそうです。

非常に壮観な風景が広がっており、SNS映えする写真スポットも数多く、皆さんが思い思いの場所で撮影しておられました。
西南方向がよく開けているのが特徴的で、夕方のサンセットや、広大な湖ということもあり、のどかな雰囲気がふんだんに楽しめる場所です。

仏香閣(ぶっこうかく)から見る頤和園の絶景
仏香閣は、万寿山の中腹に聳える、八角三層の高さ約36.5メートルの秀麗な塔で、頤和園のシンボル的存在であり、圧倒的なスケールを誇ります。
乾隆帝が、母の健康と長寿を祈願して建立したとされ、1860年に一度焼失しますが、清朝末期の西太后により再建されました。
現在では、塔内に高さ5メートルの千手観音菩薩像が安置され、清朝皇帝の思い描いた夢が詰まっている建造物と言われています。
私たちは、時間の関係で登って眺めることはできませんでした、残念!!

各所に、瀟洒な建造物と庭園がバランスよく配置されています。中でもこの奇岩は大きさといい、形や紋様が他を圧倒する迫力あるものでした。

この建物は「楽寿堂」との扁額が掛かっています。西太后さんの好きな鶴が門前に左右ツガイで飾ってありました。
出発前にU-NEXTで、「蒼穹の昴」のNHKドラマを見ましたが、田中裕子さん扮する西太后がここに出入りしていたと思うとゾクゾクしました。

全長728メートルにも及ぶ「長廊」
長廊は、昆明湖の北岸に沿って伸びている、非常に長い回廊であり、乾隆帝の散歩道としても有名です。
お母さんが病弱であり、夏の避暑地として作りましたが、雨の日の散歩のために作られたそうです。さぞかし涼しかったと思います。

その長さは728メートルにも及び、柱の上部の梁には花鳥画や風景画、歴史画など14,000枚以上もの絵が描かれているのが特徴です。
三国志や西遊記など、日本人にもおなじみの物語がテーマとなった絵も多数あります。長廊絵が描かれた最長の廊下は、ギネスブックにも登録されており一つ一つの絵を見て回るのもおすすめだそうです。
私は、余りの絵画の多さと、周りの眺めの良さ、人々の行き交い、写真の撮影に目が回りそうでした。次回来た時にはゆっくり見たいです。

実際に歩くと、美しい回廊と湖からの風が心地よく、30℃を超える日中でも涼しく快適でした。
昔は蚊が多くて西太后が蚊に刺されないように、側近が大変だったそうです。そのため、至る所に蚊が嫌う木々が植えてあるそうで、現在もその効果があるとガイドさんが言われていました。

広大な国を治めると絶大な権力を手にします。日本にも古代には、世界3大墳墓の一つ「仁徳天皇陵古墳」が作られました。
頤和園の歴史と、人造湖と人工山の規模の大きさには圧倒され、中国大陸のスケールの大きさを実感しました。

まとめ
頤和園の再建のために、北洋艦隊の予算を削って国を滅ぼしたという、端的な歴史のお話を聞いて、北京へ行ったら実際に見てみたいと思いました。
歴史の治乱興亡に翻弄される芸術品の現在を、現地でリアルに体験して心に焼き付けたいとも思いました。
頤和園の歴史と規模の大きさに圧倒され、改めて中国大陸の水利土木事業と農耕文化による文明の偉大さを実感しました。
「頤和園」を守り続けてこられた皆さま、お世話になった方々に感謝します。
谢谢!!
北京旅行全体を網羅したブログを書いていますので、よろしかったらご覧ください。
ありがとうございました。
See you(^^♪

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