天候、体調、空き時間に合わせた沖縄観光
みなさま、こんにちは♪
私たちは、「体力のないシニア夫婦の初めての沖縄旅行」をしています。
沖縄は、本土と違う様々な事情が起こりますので、それに対応した楽しみ方が求められます。
さまざまに調べて、ハプニングも起こりましたが、おおむね順調に行きましたので、ご参考になればと思い記事にしました。
このようなことを思われた方々の、参考になれば幸いです。

▲美しい沖縄をもっと知りたい
私は初日に、「首里城公園の観光」で転んで打ち身をし、腕に少し痛みが出ました。
(旅行から帰って外科に行きましたが骨折はなく、2週間ほどで全快しました💓)
2日目は、観光バスツアーに予定通り行きましたが、痛みが少しありました。
3日目は、早朝からの観光バスツアーをキャンセルして、ホテルで11時までゆっくり静養しました。
昼食は、タクシーの運転手さんの紹介で「牧志市場のお持ち上げ魚料理」を美味しくいただきました。
19時発の飛行機まで、少し時間がありますので、空き時間に行けて体力を消耗しない観光を考えました。
その結論として、「沖縄県立博物館・美術館」に行くことに決めました。
天候が悪化し屋内の観光をしたい
沖縄は、急な台風などが発生しやすいです。
大雨、大風などの災害を考えると、知らない土地での危険は避けたいです。
ホテルで一日過ごすのも勿体無いです。
近場で、安全な屋内の観光をしたいと思いました。
体調を崩して、無理のない沖縄でしかできない観光をしたい
若い方でも体調を崩すと、無理な旅程は禁物です。
無理をして、熱中症とか、怪我などすると旅行そのものができなくなります。
子供さん連れも、発熱したり、体力疲れが出る場合があります。
無理なく、休むところがある屋内の観光地はないでしょうか?

▲野外展示:穀物を保存する高倉(奄美式)
高齢者のため疲れたので、体力を消耗しない観光をしたい
私たちは、このことに該当します。
ホテルで、チェックアウトギリギリまで温泉などに入って、ゆったり静養ができました。
予定していた観光バスツアーの斎場御嶽は、歩く距離が長いことが分かり、キャンセルして正解でした。
博物館は、体調に合わせていつでも休憩もできるし、病気になっても病院が近くにあり安心です。
那覇の近場で隙間時間に観光したい
飛行機が出るまで時間が少しあります。
お土産も買ったし、そうそう沖縄には来れないので、もう少し沖縄を体感したいです。
空き時間、隙間時間を有効に活用したいと思います。
沖縄の歴史をもう少し深く学びたい
沖縄のことをもっと知って帰りたい。
琉球王朝(1429〜1879)時代の、前の歴史を知りたい。
沖縄の名称は、779年(唐大和上東征伝・阿児奈波)以前からあります。
琉球の名称は、隋王朝時代(581〜618年)頃からあります。
沖縄、琉球に至る、その前の歴史を知りたいと思いました。

▲沖縄県立博物館・美術館の正面
以上の5点を考えて、観光地を探しました。
その結果、「沖縄県立博物館・美術館」に行くことに決定しました。
沖縄県立博物館・美術館に着く
「牧志市場のお持ち上げ食堂」で昼食をいただき、タクシーで博物館へ向かいました。
国際通りから、1580円の料金でした。
沖縄のグスクを形取ったような、ピラミッドのような、他に見たことのない形の迫力のある博物館です。
博物館と美術館が併設された全国でも珍しい施設です。
愛称が「おきみゅー」というそうです。
沖縄の自然、歴史、文化、芸術を一度に鑑賞できるそうです。
沖縄の民家を再現
玄関の手前の左横に、屋外展示場がありました。
琉球の伝統的な、高床式の倉庫と、民家がありました。
写真で紹介していますのでご覧ください。

▲パンフと入場無料券
沖縄県立博物館に入場する
発券窓口に行きますと、70歳以上は無料とのことでした。
夫は免許証を出し無料で入りました。
一般の観覧料は「博物館常設展530円、美術館コレクション展400円」です。
企画展、特別展は別途有料ですが、時間的余裕がないので申し込みませんでした。
入場口のスタッフに入場券を渡しました。
「沖縄2億年の歴史を1時間で旅するシート」というパンフレットをいただきました。
「沖縄の歴史ざっくりコース」として8つほどに分けて、時系列に分かりやすく説明してありました。
私たちが、最も願っているテーマでした。

▲古宇利島の前の海と島
海と島に生きる
入場するとすぐに、テーマ全体の映像が流れていました。
沖縄特有の自然、気候、風土と、育まれた歴史と文化が紹介されています。
自然史では「生物が語る沖縄2億年」をテーマに、独自の進化を遂げた生き物の世界を、ジオラマや標本で紹介しています。
沖縄の地史は、約2億年までさかのぼれます。
別の資料によれば、
地球の誕生は46億年前といわれています。
大陸は40~10億年前、日本列島がおよそ5億年前に対して、琉球列島の地史(ちし)は約2億年で、地球の歴史からすると、新しい方といえるそうです。
沖縄の島々に人々が住み始めたのは約3万年前です。
沖縄は海との関わりが深く、独自の自然、歴史、文化が育まれました。
琉球石灰岩は他には存在しない貴重な岩石で、化石ができやすく、沖縄は化石の宝庫と言われています。

▲約2億年前に琉球列島はできた(イメージ)
海で結ばれた人々
7000年前から12世紀頃までは貝塚時代(先史時代)と言われます。
沖縄はサンゴ礁に囲まれています。
当時の遺跡(本土や中国など)から、貝や貝製品が出土しています。
沖縄産の貝輪などが、佐賀県からも出土しています。
昔から周辺地域と沖縄は、海で結ばれた文化経済圏であったと思われます。
貝塚のムラから琉球王国へ
12世紀から1429年まではグスク時代(三山時代)と呼ばれます。
11世紀から沖縄では、大陸から流入した農耕が盛んになります。
豊かな集団が形成され、13世紀ごろから按司と呼ばれる権力者たちが現れ、グスク(城)を築きます。
北山、中山、南山(3つの小国)が領地(農地)を求めて争い、1429年に南山が統一して「琉球王国」が誕生します。
この時代の鎧の金具が陳列されていますが、争いに使われた刀や鎧は日本製でした。

▲野外展示:赤瓦の沖縄民家
王国の繁栄
1429年から1609年までは「琉球王国時代」と呼ばれます。
国内の権力基盤が脆弱なため、強固な国家体制を目指しました。
14世紀末以降、明との冊封・進貢貿易を確立し、東アジア有数の貿易国家として発展しました。
その内容が、「万国津梁の鐘」(国指定重要文化財)の銘文に書かれています。
この「旧首里城正殿鐘」は、博物館一番の目玉展示だそうです。
冊封とは、明や清との君臣関係を結び、その地域の統治が認められることです。
薩摩琉球支配と琉球王国
1609年から1879年までは「近世沖縄」と呼ばれます。
1609年の薩摩侵攻で日本の影響下に置かれ、中国との冊封・進貢関係も維持されました。
隣国との力関係を、外交で調整する期間であったようです。
国家体制が整備され、工芸品、歴史書、文化が花開いた時代でもありました。

▲野外展示:一番座(客間)
王国の衰亡
19世紀に入ると農村の疲弊と財政難等で、国家経営が行き詰まります。
そして欧米諸国が押し寄せ、危機的状況に陥りました。
沖縄の近代
1879年から1945年まで「近代沖縄」と呼びます。
1872年の廃藩置県後、明治政府は日本の一部にするよう圧力を強めます。
1879年に琉球王国は、滅亡し沖縄県となります。
1945年の痛ましい沖縄戦では、多くの人命と文化財等が失われました。
戦後の沖縄
1945年から現在まで「戦後沖縄」と呼びます。
1972年の日本復帰まで、27年間アメリカの統治化に置かれました。
沖縄島の15%が基地となり、アメリカ文化も流入します。
復帰運動が高まり、施政権が返還され新生沖縄がスタートしました。

▲野外展示:二番座(仏間)
自然史部門展示室を観る
「港川人1号の全身復元模型」が展示されています。
形態的な特徴(オーストラロ・メラネシアンに近縁)、食べ物(オオウナギやモクズガニ)、装飾品(貝製ビーズ)の新知見が模型に反映されています。
私は人類の起源については大変興味があります。
しかし専門家ではありませんので、素人の私が調べた情報の範囲を繋いで記します。
沖縄に、人々が住み始めたのは約3万年前と言われています。
1970年に八重瀬町で人骨が発見され「港川人」と名付けられました。
22000年前(旧石器時代)に生きた人骨化石として発見されました。

▲DNA分析で解明される
柳江人(中国)から、港川人に、そして縄文人となったのではないかとの説もありました。
しかし、2021年、東邦大などの研究チームのDNA分析の結果、遺伝的に縄文人や現代日本人の直接の祖先では無いことが発表されました。
日本の先祖は縄文人、渡来系弥生人(北方系アジア人)の混血であると言われます。
人骨の遺伝解析によれば、日本人は縄文人、北東アジア、東アジアの三つの先祖集団であると言われます。
またDNA分析の結果、縄文人は、シベリアのブリヤート人と遺伝的に最も近いとの情報もあります。
沖縄の人たちは、縄文人の遺伝子を強く持っているそうです。
その後、日本人(縄文人+弥生人)が流入し、混血したのではないかと言われています。

▲沖縄の珈琲は美味しい
詳しい内容は、博物館に実際においでになり、目で見て体感してください。
素晴らしく、シンプルで分かりやすい展示内容になっています
おやつ:コーヒーフロート
疲れましたので、喫茶店で休むことにしました。
カメカメキッチンさんというお店で、コーヒーフロートを注文しました。
「コーヒーフロートは無いですが、アイスコーヒーとアイスクリームがあるので入れてあげましょう」と言われました。
なんと親切な融通のきく店かと感激しました。
冷たいコーヒーの苦さと、アイスクリームの甘さと両方で疲れを癒され、元気が出てきました。
沖縄の歴史の学びに満足しました。
次は、沖縄の芸術に触れたいと思います。
お代は、2人分で1280円を、PayPayで支払いました。

▲野外展示:民家の台所
沖縄県立美術館に入場する
博物館の反対側に、美術館の入り口があります。
沖縄出身、または沖縄にゆかりのあるアーティストの作品や、アジア諸国の現代美術作品を中心に展示されています。
沖縄の風土が育んだ、油絵、水彩画、彫刻、版画、写真、映像など、多彩な沖縄アートに触れることができます。
一昨年、日経新聞で紹介された「復帰50年沖縄の自画像 琉球絵画 東洋でも日本でもなく」の記事を持っていきました。
新聞を見せて、本美術館収蔵の琉球画家の殷元良さんの「雪中雉子の図」と、仁添まりなさんの「百年越しの彼誰」の展示はないかと尋ねました。
沖縄の地で、琉球画の独自性に触れ、体感したいと思いました。
「残念ながら展示されていない」と言われました。
「よく分かるものを呼びましょうか?」と親切に言ってくださいました。
時間的余裕がないことを告げて、丁寧にお断りしました。
本年の上半期は、美術館の収蔵作品を紹介する「美術館コレクション展」として、「具志堅聖児」日本画展と、「沖縄美術の流れ」が開催されているとのことでした。

▲琉球絵画が陳列される(イメージ)
「具志堅聖児」日本画展を観る
具志堅聖児さんの代表作として「帽子を編む」(1949年)が展示されていました。
「戦争は沖縄の全てを奪ってしまいましたよ。あの雅やかな風俗も姿を消した。ですから私は沖縄の嘗ての風俗や生活を残しておきたいと思って、戦後はそればかりを描いているんですよ」と、具志堅さんは語ったそうです。
山田真山や伊東深水に学び、ポール・ゴーギャンに影響を受けた、具志堅さんの作品14点が展示してありました。
戦前、戦中、戦後を沖縄で生きた画家として、戦争の悲惨さと平和を希求された想いがこもっていると感じました。
沖縄の平和な日常の素朴な、ありのままの生活が迫ってきて感動しました。
琉球画(山田真山)や日本画(伊東深水)と沖縄の風俗とゴーギャン(タヒチの女)が融合している、琉球独自の絵だと思いました。
具志堅さんの絵の中に、琉球絵画の独自性を理論的には説明できませんが、沖縄の人々の和やかな温かさに胸が打たれました。
沖縄の首里城の復興とともに、工芸、絵画等の文化と芸術の「琉球の独自性」の復活を願ってやみません。

▲画家のアトリエ(イメージ)
まとめ
私たちは、「体力のないシニア夫婦の初めての沖縄旅行」をしています。
そこから直面し、学んだことをお伝えさせていただきます。
私は初日に、首里城公園で転んで、打ち身をし、腕に少し痛みが出ました。
2日目は、「美ら海水族館の観光バスツアー」に予定通り行きましたが、痛みが少し残りました。
3日目は、早朝からの観光バスツアーをキャンセルして、ホテルで11時までゆっくり静養しました。
19時発の飛行機まで、少し時間がありますので、空き時間に行けて体力を消耗しない観光を考えました。
その結果、「沖縄県立博物館・美術館」に行くことに決めました。

▲グスクを思わせる博物館施設
良かったことは、
沖縄県立博物館・美術館さん、ありがとうございます。
愛する沖縄ありがとう!!
先日、「沖縄観光バスツアーおすすめ【シニア夫婦の体験談】美ら海水族館など」の記事を書きました。
また、総まとめとして「沖縄旅行おすすめ【シニア夫婦の体験談】感動の琉球2泊3日の総集編」も書いております。
もし興味がございましたらご覧ください。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
See you(^^♪
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