「老人ホーム」の世界史・日本史をたどる|釈迦の「生老病死」⑥

健やかに暮らすヒント(衣・食・住・健康)

はじめに

みなさま、こんにちは(^^♪

老人ホーム見学シリーズ番外編です。ゆうゆう壱番館での感動をきっかけに、世界と日本の老人ホームの発祥、そして釈迦の「生老病死」の教えとの深いつながりを調べてみました。老いと向き合うすべての方に読んでいただきたい内容です。

老人ホームの原点を探して

夫婦74歳の私たちは、終の住処を求めて10箇所の「住宅型有料老人ホーム」見学を目標に立てました。4箇所目にお伺いした北九州市の「ゆうゆう壱番館」さんでの宿泊体験は、これまでにない感動の連続でした。

見学を重ねるうちに、そこに取り組む方々の意識の深さ、心意気、誠実さ、使命感のようなものに強く心を打たれるようになりました。おりしも、NHKの朝ドラでは看護師の人間像を描いた作品が放送されています。高齢者介護の現場では、看護師さんや介護士さんがまさに主役なのだと思います。

病人、子ども、高齢者、女性は、人類の歴史の中でしばしば「社会的弱者」と呼ばれてきました。政府も地域社会も民間も、この課題にどう向き合い、解決に取り組んできたのか。特に「老人ホーム」というものが、世界と日本でどこから始まったのか、その原点を知りたくなり、調べてみましたので、その一端をお届けします。

世界の原点:中世ヨーロッパの「アルムスハウス」

老人ホーム(高齢者ケア施設)の原点は、世界と日本でそれぞれ異なる歴史的背景から生まれていますが、いずれも「宗教的な慈善活動」や「貧困層の救済」から始まっているという共通点があります。

世界で最初に記録が残る施設は、936年頃、イギリス・ヨークでアングロサクソン王アセルスタン(アルフレッド大王の孫)の寄進によって建てられたものとされています。これが後に「アルムスハウス(Almshouse=救貧院)」や「ベッドハウス(Bedehouse=祈りの家)」と呼ばれるようになりました。

当時、身寄りのない高齢者や貧困層、病人を救うことはキリスト教の「徳(施し)」の義務と考えられており、富裕層や貴族が天国へ行くための善行として、こうした施設を寄付・建設したのが始まりです。

その後、産業革命の時代には国が貧困層を強制収容する「ワークハウス(労働施設)」という暗い時代を経て、それへの反省から「医療ケアに特化したナーシングホーム」と「生活を支えるケアホーム」に分かれ、現代の欧米の施設へと発展していきました。

日本の原点:明治の「聖ヒルダ養老院」

日本で「高齢者だけを対象とした施設」が誕生したのは明治時代です。1895年(明治28年)、東京・麻布で、イギリス人宣教師エリザベス・ソーントンらが設立した「聖ヒルダ養老院」が日本最初とされています。当初は、老衰や貧困で生活できない「身寄りのない高齢女性」のみを保護する、民家からのスタートでした。

古代日本にも、聖徳太子が作ったとされる「悲田院」や、江戸時代の「お救小屋」など、困窮者を助ける仕組みはありました。ただしこれらは、孤児も老人も病人も一緒に収容する「混合施設」でした。明治に入り、西洋のキリスト教思想が流入したことで、初めて「高齢者の尊厳を守るための専門施設」が生まれたのです。

その後の制度の歩みとして、1932年(昭和7年)に施行された救護法により、宗教や民間の善意に頼っていた養老院が国の制度として初めて認められました。1963年(昭和38年)の老人福祉法により、「貧しい人を救う」という生活保護の意味合いから脱却し、老人のための福祉として「老人ホーム」という言葉が正式に誕生します。

そして2000年(平成12年)の介護保険制度の施行によって、行政が「入所させる(措置)」時代から、利用者が自分で施設を選ぶ「契約」の時代へと大きく転換しました。

世界でも日本でも、老人ホームはもともと「家族に頼れない、経済的に困窮した高齢者を、社会の善意で救う最後の砦」でした。それが時代とともに「福祉」から「医療との連携」へ、そして現代では「人生の最期を自分らしく過ごすための住まい」へと、その役割と哲学が大きく進化してきたのです。

日本の老人福祉を動かした3つの転換点

①聖徳太子が作った福祉の源流「悲田院」

日本の社会福祉の思想的ルーツは、593年(推古天皇元年)に聖徳太子が四天王寺(大阪)に建立した「四箇院」にあります。仏教の慈悲の精神に基づき、医療を担う「施薬院」「療病院」、そして身寄りのない老人や孤児を収容する「悲田院」が設けられました。

「悲田」とは、慈悲の心で人を救えば、そこから計り知れない功徳が生まれるという仏教の教えに由来します。国や権力者が「社会的弱者を救済する」という公的福祉の概念を、日本で初めて形にした画期的な試みでした。

②渋沢栄一が半生を捧げた「養育院」

明治に入り、都市の貧困層や浮浪者を救うために1872年(明治5年)に設立されたのが「養育院」です。新一万円札の顔としても知られる渋沢栄一は、1876年(明治9年)に事務長(後に院長)となって以来、1931年に91歳で亡くなるまでの約55年間、この事業を支え続けました。

当初は孤児・病人・高齢者を一括で受け入れる混合施設でしたが、渋沢は「官に頼るだけでなく、民間の力で弱者を支えるべきだ」と考え、財界から寄付を募りながら運営を支えました。この養育院が、のちの「東京都健康長寿医療センター」へと発展し、日本の近代老人福祉の土台となりました。

③「措置」から「契約」への大転換

2000年の介護保険制度の創設は、日本の老人ホームのあり方を根底から変える大改革でした。それまでの特養などは、行政が「生活に困窮しているから入所させる」という「措置」で決まるもので、利用者に選択権はなく、どこか「暗い、気の毒な場所」というイメージがつきまとっていました。

介護保険の導入により、高齢者は「自らの意志で施設を選び、サービスを契約する」という立場に変わったのです。これにより民間企業が続々と参入し、ホテルのような有料老人ホームや、個人の尊厳を重視した明るい施設が全国に広がるきっかけとなりました。ちょうど今回訪れた「ゆうゆう壱番館」さんも、この介護保険制度の先駆けと言われる施設です。

釈迦の「生老病死」と老人ホームの関わり

お釈迦様が説いた仏教の根本思想「四苦八苦」。その中心にある「生・老・病・死」は、現代の老人ホームの存在意義と、深いところでつながっています。

カピラ城の王子として何不自由なく育った若き日のお釈迦様は、城の東西南の門から外に出た際、それぞれ「老人」「病人」「死者」に出会い、人間は誰もが衰え、病み、死んでいくという現実に強い衝撃を受けたと伝えられています(「四門出遊」)。

仏教でいう「苦」とは、単に痛みや悲しみのことではなく「自分の思い通りにならないこと」を意味します。髪が白くなる、耳が遠くなる、体が思うように動かなくなる――どれほどの権力や富があっても避けられない、人間の根源的な苦しみです。

老人ホームという場所は、お釈迦様が2500年前に見つめた「老い」という苦しみを、社会全体で分かち合うために生まれた、いわば現代の装置だと言えるかもしれません。お釈迦様は「すべてのものはつながり合って存在している(縁起)」と説きました。

かつて老いは家族という縁の中で支えられてきましたが、核家族化が進んだ現代では、一人で老いることそのものが大きな不安になっています。老人ホームは、家族に代わる新たな「縁」を提供し、一人で老いの苦しみに向き合わなくてよい環境を作っているとも言えます。

また、老いの先には必ず病と死が待っています。看取りを行う施設は、単に寝食を提供するだけでなく、入居者が自分の老いや病を受け入れ、人生の最期を安らかに迎えるための「心の平穏を得る場」としての役割を強めています。

こうした精神的な結びつきは確かにあるものの、両者を単純に「同じ思想」と結びつけるのは少し急ぎすぎかもしれません。釈迦の教えの主眼は、老いという現象そのものへの対処ではなく、老・病・死への執着や恐れを手放すこと、つまり「内面の転換」にありました。

一方、現代の老人ホーム制度は、救貧法やアルムスハウス、生活保護法といった社会保障・行政の論理から発展してきたもので、当初の動機は宗教的な悟りとは無関係な「困窮者の物理的救済」でした。

両者を明確に結びつけたのは、1985年に提唱された「ビハーラ」という仏教を背景とする終末期ケアの考え方です。「誰もが抱える生・老・病・死の苦悩に、医療や福祉だけでなく仏教徒も責任を持って応えたい」という願いから生まれ、釈尊の時代の寺院にあった「無常院」という看取りの場や、日本の浄土教の臨終行儀の伝統も踏まえています。「生老病死」は今、単なる古典思想ではなく、実際の介護・医療現場で参照される実践的な枠組みになっているのです。

まとめると、「老いを恐れず受け入れる」という精神的な態度のレベルでは確かな共鳴がありますが、それがそのまま制度としての老人ホームを生んだわけではなく、両者を結びつけたのはビハーラ運動という、比較的最近の意図的な架け橋だった、というのが史実に忠実な理解だと思います。

聖徳太子が悲田院を作ったのも、お釈迦様が説いた「老・病・死の苦しみの中にある人々を救いたい」という慈悲の心が原動力でした。措置から契約へとシステムは近代化しましたが、老人ホームの本質には、今も「人間の思い通りにならない『老い』という苦しみに寄り添い、尊厳を守る」という、時代を超えた哲学が息づいているのだと感じます。

まとめ

人類の歴史の中で、老人、子ども、女性、病人はしばしば社会的弱者と呼ばれてきましたが、この方々なくしては人類社会は存続しません。だからこそ、助け合いが必要になります。太古の宗教や哲学、思想や運動の中から、老いを支える拠点として必然的に「老人ホーム」のようなものが生まれ、今日に至っていることが分かりました。お釈迦様の「内なる心の救い」と「外なる救済事業」の両面に、深く感動しました。

その時代ごとの社会環境を反映しながら、日本には今の介護保険制度が生まれ、その先駆けとなった働きをされていたのが「ゆうゆう壱番館」さんだったことも、今回よく分かりました。2000年に始まった日本の介護保険制度は、世界的にも高齢者福祉の先進的な取り組みの一つとして注目されています。

次回は、この介護保険制度がどのような経緯で生まれたのか、もう少し詳しく成り立ちを調べてみたいと思います。『老人ホームの「看取り」と「介護保険制度」2025・2040問題⑦』興味がありましたらご覧ください。

ありがとうございました。

See you(^^♪

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ユルバ

みなさま、こんにちは ♪♪
私は地方に住む70代の、ゆるいおばあちゃんブロガーです。
築30年のボロ戸の我が家をリフォームしたことをきっかけに、ブログを始めてみました。
それから年寄りの悩み、旅、暮らし、健康、心に浮かぶことなどをつらつらと書いています。
月に5記事を目標に、4年目を迎えナント”チリも積もれば山となる”260記事を超えてしまいました。
何か一つでも皆さまのお役に立てたら嬉しいです。
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