【モンサンミシェル修道院】ノルマン・ロマネスク・ゴシック建築様式

ユルバの芸術文化

 

みなさま、こんにちは(^^♪

 

シニア夫婦で、フランスの「モン・サン・ミシェル」へ行ってきました。(妻・ユルバ)

娘が卒業旅行で行ってきて、「ディズニー映画のお城のモデルとなった、欧州の海上のお城は一度行ったほうがいいおよ」と、勧めてくれていました。(夫・ユルジ)

 

70歳を過ぎて、念願が叶いました。

上まで登れるか心配しましたが、夫に支えられて登りきることができました。

 

私の経験が、皆様のお役に立てたら幸いです。

写真は、夜明け前にホテルを抜け出し、日の出前の「モン・サン・ミシェル」を写真に納めました。

 

この美しさは、感動の一瞬でした。

「モン・サン・ミッシェル」とは

朝焼けの「モンサンミッシェル」は、海の中で不思議な幻想を持つ佇まいを見せました。

「モン・サン・ミッシェル修道院(Abbaye du Mont-Saint-Michel)」とは、フランスの西海岸のサン・マロ湾に浮かぶ小島に建つ修道院で、その美しい景観から「海上のピラミッド」とも呼ばれています。(日本人の男性ガイドさん)

8世紀初頭、「ベネディクト派僧院」として設立され、13世紀に「ゴシック建築」の傑作たる教会を建築しました。(フランス人の女性ガイドさん)

だんだん陽が登ると、周辺の風景が姿を表してきました。

昔から「巡礼の地」として信仰を集めますが、長い歴史の中で戦争などにより牢獄や要塞として利用されたこともありました。

 

その歴史や、美しい建築美、景観を後世に残すために、世界遺産に登録されました。

「モン」は山、「サン」は聖、「ミシェル」は「ミカエル」を意味します。

 

「モン・サン・ミシェル」とは、「聖ミカエルの山」です。

モンサンミッシェル修道院の歴史

私たちは、昨日パリから350kmの道のりを、5時間かけてバスに乗って来ました。

 

対岸のホテルに一泊して、専用バスを10分ほど乗り、モンサンミッシェルの前まで来ました。

708年、「アヴランシュ司教・オベール」が、夢の中で「大天使ミカエル」から「この岩山に聖堂を建てよ」というお告げを何度も受け、礼拝堂を造ったのが「モン・サン・ミッシェル」の始まりと伝えられています。

そして966年に「ノルマンディー公・リシャール1世」が、「ベネディクト会」の修道院をここに造りました。

火事や自然災害などで増改築を繰り返し、13世紀にほぼ今の形となりました。

 

当時からカトリックの聖地として、多くの巡礼者を受け入れてきました。

 

14世紀には「英仏百年戦争」に巻き込まれて、要塞と化しました。

18世紀末、フランス革命が起こると、1863年までは監獄として使われ、城は荒廃していきます。

 

しかし、文豪ヴィクトル・ユゴー(レ・ミゼラブルで有名)の訴えにより、ナポレオン3世が修道院としての役割と機能を回復しました。

「モン・サン・ミシェル」に入る

バス停から歩いて数分で、モン・サン・ミシェルの門に入りました。

 

日本人の男性のガイドさんと、日本語の話せるフランス人の女性ガイドさんが丁寧に案内をしてくださいました。

要所を1時間半かけて案内してくださり、後の1時間はフリータイムでした。

 

石造の建造物の狭い路地を登り始めました。

古城に登るような、初めての経験に胸がドキドキしました。

 

路上脇のお店では、試食品などを配っていました。

 

クッキーが名物で、とても美味しかったです。

 

さすがは、フランス本場のクッキーです!!

少し登ると、教会があり、入ってみたらミカエルが祀ってありお祈りを捧げました。

何を祈って良いか分からないので、モン・サン・ミシェルに導いていただいたことに感謝しました。

 

とても雰囲気のある古い伝統を感じました。

聳え立つ「大天使ミカエル像」

モンサンミシェルの「大天使ミカエル像」は、修道院の尖塔の頂上の最も高い所に設置されています。

具体的には、海面から156mの高さに位置し、像の重さは820kg、高さは3.5mあります。

 

この像は、剣と秤(はかり)を持つ「大天使ミカエル」が、ドラゴンを退治する姿を表しており、修道院のシンボルです。

「ラ・メルヴェイユ」の優雅な建築

「ラ・メルヴェイユ」は、北面に存在する「ゴシック様式」の3階建ての建造物です。

 

装飾があまりにも美しく、17年という短期間で建てられ「ラ・メルヴェイユ(驚異なるもの)」という名前が付けられました。

 

柱、窓、壁面がゴシック様式の、少し明るい美しい色合いの建物でした。

「西のテラス」からの風景を眺望

モンサンミッシェルの西側のテラスは、修道院の中でも指折りの絶景スポットが広がります。

南はクレノン川の流域、北は満潮時には海面となる砂浜が広がり、一面の大海原を眺められます。

 

「ブルターニュ」から「ノルマンディー」の海岸線が見渡せる風景は、空や海や川、砂浜、入江の風光明媚が刻々と移り変わり、見る者の目を飽きさせません。

フランスの北部の美しい海岸線に見惚れた私は、段差に足を踏み外して倒れてしまいました。

 

ガイドさんが驚いて駆けつけてくれましたが、怪我もなくラッキーでした。

「修道院付属教会」を見学

岩盤の上に建てられたとは思えないほどの、大きな教会が島の頂上に存在していました。

 

ショーケースの模型を見て、全体の感覚が掴めました。

 

今から1000年以上前に建設された、長い歴史を物語る教会です。

教会内部に取り入れられている「ノルマン様式」建築は、壁は厚く、柱は太い円柱で、入り口・窓の上は半円形のアーチ型という特徴を持っています。

 

窓の数も多く、通常のガラス窓ではなく、ステンドグラスが採用され、修道院の中も明るい陽光に照らし出されています。

 

また、「ノルマン様式」は、石造りの天井に、半円形のアーチを連結させ、支持力を強化しています。

「教会の身廊」の荘厳さ

「身廊」とは、キリスト教会の入り口から祭壇に向かう中央の広い空間を指す言葉です。

 

身廊は、創建時はロマネスク様式でしたが、1421年に崩壊し、百年戦争の後にゴシック様式で再建されました。

とても天井が高く、厳粛な雰囲気です。

 

聖堂は80mの土台の上に建っており、この下には礼拝堂があって聖堂を支えています。

 

柱は6mの太さがあり、太柱の礼拝堂とも呼ばれています。

「聖ミカエル像」が善悪を見ている

聖堂に、剣と秤(はかり)を持つ「聖ミカエルの像」が設置されています。

 

左手に持つ秤は、生前の魂の善悪を計り、天国行きか地獄行きかを振り分ける意味合いがあるといいます。

 

日本の「閻魔大王様」のようなお働きです。

「大天使・ミカエル」が、天国を守る騎士である証拠の剣と秤です。

 

英仏百年戦争(1337〜1453年)の際に、「ジャンヌ・ダルク」に啓示を与え、彼女がフランスを勝利に導いてから、フランスの守護天使として崇められました。

「モンサンミッシェル」は、千年もの歴史の中で、建物自体の造りが変化してきました。

 

取り入れられている建築様式は、当初は「ノルマン様式」に始まり、破壊される前は「ロマネスク様式」、そして「フランボワイアンのゴシック様式」とさまざまに複合した魅力ある建造物になっています。

「回廊」の永遠性を観る

「ラ・メルヴェイユ」の、3階部分には中庭があり、その周囲を回廊が取り囲んでいます。

ここは神の空間とも見なされ、修道士たちは瞑想したり、散策して神と対話しました。

 

回廊の柱は、庭側と廊下側の2本の柱で1組の列柱となっています。

 

その柱が少しずれて建てられており、回廊が永遠に続くかのように、見る人に錯覚をもたらすそうです。

「食事室」の見学

同じく、3階部分には、他に修道士たちの食事室があります。

「ベネディクト会」の戒律は非常に厳しく、食事時も無言でなければなりません。

 

雪に埋もれる「永平寺」の厳しい修行を彷彿とさせます。

「迎賓の間」の見学

2階には、王族や貴族など身分の高い信者を受け入れた「迎賓の間」がありました。

再建後の内陣は「フランボワイアン・ゴシック様式」が用いられました。

 

この様式は、デザインが「炎のように激しい」という印象を与えます。

特徴として、窓はステンドグラスに飾り格子が用いられ、特にステンドグラスには、精密さと共に色彩の豊かさが感じられます。

 

また、天井には、星形の装飾が付けられています。

修道僧の納骨堂があった場所には、大きな滑車のような車輪がありました。

滑車の先には鎖が繋がれており、海まで垂れ下がっていました。

 

これは牢獄だった時に使われていたもので、囚人の食糧を船から運搬したそうです。

 

多くの人々の食糧や水なども、相当な量があり、高所に運ぶのは大変だったと思いました。

 

下の人々が、蟻のように小さく見えます。

「騎士の間」の見学

「騎士の間」は、王族や貴族が巡礼した際の、従者達のための部屋であり、居場所のようです。

 

巡礼が無い時はなど普段は、修道士達の仕事部屋として使われていました。

「修道院付属聖堂」を観る

この聖堂は、1000年から1010年にかけて建てられました。

 

尖塔の先端には、黄金のミカエル像が設置されています。

 

1897年に「エマニュエル・フレミエ」によって作られたもので、右手に剣、左手に秤(はかり)を持っています。

モン・サン・ミシェルのモデル

モンサンミッシェルは、ディズニー映画「塔の上のラプンツェル」に登場するコロナ王国のモデルになりました。

 

海に浮かぶ修道院という独特の景観、修道院の尖塔が聳え立つ姿、過去に要塞として使われた歴史が、イメージやシルエット、物語の舞台設定にも合致しました。

90分ほどの説明が終わり、後の60分は自由見学、買い物、専用バスで対岸のホテル前で落ち合うことになりました。

 

私たちは、トイレを一番に探しました。

 

公衆トイレは、モンサンミッシェルの入場門のすぐ横にありました。

 

男女が分かれており、さほど混んではおりませんでした。

受付で料金(2人分・1ユーロ・180円)を支払い、案内者に従ってトイレを使う手順でした。

 

この様式は初めてで、良い体験になりました。

 

公的なサービスのようで、トイレはとてもキレイで快適でした。

 

生まれて初めてトイレ代を支払いました。

 

無事に対岸のホテル前に集合し、昼食をいただいてバスでパリに向かいました。

まとめ

ディズニーランドのお城などを見るたびに、欧州の古城に興味を持ちました。

 

数百年の歴史ある王族や貴族の生活を、リアルで触れてみたいと思いました。

 

ご縁があり、京都と同じ1000年の歴史をもつ、聖堂、教会、修道院、要塞、監獄などに使われた巡礼地を訪れることができ感激しました。

建築様式は、「ノルマン様式」に始まり、「ロマネスク様式」、そして「ゴシック様式」と欧州の代表的な魅力ある建造物が、宝石のようにビッシリと建ち並んでいる世界遺産です。

 

宗教的には「大天使ミカエル」の霊言に始まり、フランス革命の「ジャンヌダルク」を彷彿とさせ、魅力に満ちたものでした。

旅から帰りましても、北フランスの英国とのドーバー海峡を挟むノルマンディー地方の「世界遺産・モンサンミッシェル」に実際に足を踏み入れたリアルな体験は、肌が直接覚えて感動を思い出させてくれます。

「聖ミカエル」様、「アヴランシュ司教・オベール」さん、「ノルマンディー公・リシャール1世」さん、「ヴィクトル・ユゴー」さん始め、現在まで「モン・サン・ミシェル」の保存、運営をしてくださった多くの皆様に、深い敬意と感謝を捧げます。

 

ありがとうございました。

 

See you(^^♪

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ユルバ

みなさま、こんにちは、はじめまして♪
わたしは、地方都市に住んでいる70代前半の主婦で、「ユルバ」と申します。
子どもたちは独立し、夫と二人暮らしです。
人生100年時代と言われますが、いつお迎えがくるかは分かりません。
そんな不確かな生活のなか、自宅を「終のすみか」にリフォームしたり、「旅や芸術文化」を楽しんだりしています。
日々、若い時には無い、シニアならではの「悩み」も出てきます。
そんな、ささやかな思いや、リアル体験を月に5記事を目標にブログに書いてみました。
2年8ヶ月が過ぎ、記事も160を超えました。
失敗やハプニングの連続ですが、みなさまのご参考になれば幸いです。
よろしくお願いいたします(^^♪

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