はじめに
みなさま、こんにちは(^^♪
見学シリーズ番外編です。創業者・濱村和明さんから娘・美和社長へと受け継がれた経営哲学、そして母・泰子会長との絆。「社員も家族」の理念がどのように実践されているのか、具体的なエピソードとともにご紹介します。
「お帰りなさい」の奥にあったもの
夫婦74歳の私たちは、終の住処を求めて10箇所の「住宅型有料老人ホーム」見学を目標に立てました。4箇所目にお伺いした「ゆうゆう壱番館」さんでは、「お帰りなさい」「行ってらっしゃい」と、まるで本当の家族のように接していただき、温かい我が家にいるような気持ちになりました。
話を聞くうちに、この温かさの奥には、創業者・濱村和明さん、現会長・泰子さん、現社長・美和さんへと三代にわたって受け継がれてきた経営哲学があることが分かってきました。今回は、その哲学がどのように具体的に実行されているのか、調べたことをまとめてみます。

▲小倉駅からモノレール14分で守恒駅で降りて徒歩800mでゆうゆう壱番館に着きます
濱村和明さんの言葉は、どこに残っているのか
濱村和明氏自身が一般の書店に並ぶような「自伝」を単独で出版した記録は見当たりませんでした。ただ、その哲学や言葉は、会社の公式な発信や業界誌のインタビュー、そして何より次世代の経営陣が語る言葉の中に、はっきりと刻み込まれています。
行政出身(旧若松市役所)だった和明氏は、1974年に「株式会社不動産中央情報センター」を創業し、地元・北九州への強い愛着と使命感のもと事業を展開しました。1988年には全国の同業者に向けた「賃貸管理実務研修」を始動し、自社のノウハウを業界全体に公開することで、業界の質的向上に貢献し続けました。同じ1988年に設立されたのが「ゆうゆう壱番館」です。
国土交通省(当時の建設省)の高齢者向け優良賃貸住宅制度検討委員に、民間から1人選ばれたことからも分かるように、シニア住宅のパイオニアとして全国的に知られた存在でした。会長・濱村泰子さんが著された「人生の午後に寄り添って」という一冊も、和明氏の思想に直接触れられる貴重な記録です(この本については後ほど触れます)。

▲守恒小学校方面から見たゆうゆう壱番館です
現社長・濱村美和さんが語る、父の教え
現在、和明氏の哲学を最も色濃く伝えているのが、娘である濱村美和社長です。彼女がインタビューの中で繰り返し語っているのが、父が定めた会社の根本理念、「真のサービスとは、お客様の困っていること、望んでいることを事前に解決すること」という言葉です。
ただの部屋の仲介ではなく、「社会の問題解決業であるべきだ」という教えは、美和社長の経営における一貫した軸になっています。もう一つ受け継がれているのが、「地元北九州にこだわり、一人のお客様と末永くお付き合いする(生涯顧客)」という地域密着の姿勢です。行政出身だった父の、公のために尽くす使命感がそのまま形を変えて息づいているのだと感じます。

▲ゆうゆう壱番館の屋上から皿倉山が見えます
34歳での事業承継と、乗り越えた壁
2007年、絶対的なリーダーだった和明氏が急逝します。当時34歳だった美和さんが4代目社長に就任しましたが、そこには大きな試練が待っていました。当時の不動産業界は今以上に「男社会」で、しかも前社長の凄まじいエネルギーとトップダウンで回ってきた会社だったため、若い女性の後継者に対して、周囲や古参社員からは厳しい視線が注がれたといいます。
加えて、父の時代の「業績至上主義」の環境は従業員の離職率が高く、とりわけ女性社員が結婚や出産を機にキャリアを諦めていく姿を、美和さんは何度も目にしてきました。「このままでは、会社も社員も、お客様も幸せになれない」――そう痛感した美和さんは、組織改革に着手します。

▲和室にはお茶風の掛け軸に障子の間接光が柔らかく降り注ぎます
「社員を大切にする」という、逆転の発想
美和さんの経営の原点にあるのは、若い頃に経験した阪神・淡路大震災での被災や、タイでのボランティア活動を通じて学んだ「人をどれだけ深く思いやれるか」という利他の精神です。「従業員にお客様のことを真剣に考えてもらうためには、まず会社が従業員を信頼し、大切にしなければならない」という考えのもと、2007年の代表就任当初から、多様な人材が個性を活かして活躍できる会社づくりに取り組んできました。
特に女性従業員の離職率の高さを課題ととらえ、1週間連続で取得できる「リフレッシュ休暇」、家族の記念日に休みが取れる「アニバーサリー休暇」、育児休業からの復帰前に段階的に勤務する「復帰トレーニング」など、当時の不動産業界では珍しい制度を次々と整備しました。制度だけでなく、女性従業員自身が企画・運営する「女性活躍推進プロジェクト」も立ち上げ、外部研修への参加支援や、子育て中の部下を持つ上司向けのセミナーなども行っています。
年に一度の経営計画発表会を、あえて女性だけで企画・運営する試みもあるそうです。こうした取り組みが評価され、福岡県男女共同参画表彰企業賞、北九州市の男女協働実践企業表彰奨励賞、ワーク・ライフ・バランス奨励賞など、数多くの賞を受賞。今では男女共同参画を推進する企業のロールモデルとして、県内外から注目される存在になっています。

▲玄関奥のラウンジから中庭の緑を覗きます
美和さんを支える、母との絆
美和さんご自身のご結婚やお子さんといった、個人的な家族構成について公の場で詳しく語られた記録はほとんど見当たりません。ただ、彼女の「家族」への向き合い方を物語るエピソードとして、母・濱村泰子さん(現・ゆうゆう壱番館会長)との強い絆があります。
カリスマだった父・和明さんを突然失い、美和さんが34歳という若さで「男社会」の壁に直面したとき、母である泰子さんが代表取締役として一時会社を支え、娘の盾となり続けたといいます。現在も母娘で会社のトップを守り続けているのは、並々ならぬ絆があってのことなのだと思います。
美和さんは、若い頃に社内で結婚や出産を機にキャリアを諦めていく先輩や後輩の姿を見て、「もったいない、何とかしなければ」と心を痛めたことが、今のホワイト企業改革の原動力になったと語っています。
「縁あって入社してくれた社員は、全員が家族のようなもの」という考え方は、まさに私たちが宿泊体験で肌で感じた、あの温かさの源泉なのだと納得しました。北九州市の「女性のためのフォーラム」や子育て支援に関する講演会の講師を積極的に引き受けているのも、こうした思いの延長にあるのでしょう。

▲リビングは美しい絵と機能的な家具が揃います
変えてはいけないもの、変えるべきもの
美和社長はインタビューの中で、経営において最も大切にしていることを、こう語っています。「企業には、変えてはいけないもの(創業の精神)と、変えなければならないもの(時代への適応・労働環境)がある」。
父・濱村和明さんが命を燃やして作り上げた「地域のため、困っている人のため」という熱い哲学は一切変えることなく大切に守りながら、それを包み込む「組織の優しさや働きやすさ」という器のほうを、時代の変化に合わせてアップデートしていく――これこそが、超体育会系だった創業期から近代的な経営へと脱皮し、地域になくてはならない存在であり続けている、最大の理由なのだと思います。

▲閑静な高級住宅街の夜は静かに月が光っていました
まとめ
今回の見学の最後に、会長の濱村泰子さんに直接お会いすることができ、著書「人生の午後に寄り添って」を贈呈していただきました。お会いした印象は、とても品性の高い、静かで誠実で礼儀正しい貴婦人でした。本を読み進めると、難しい現場の葛藤を含め、非の打ち所のない文章で綴られており、引き込まれるように一気に読んでしまいました。この本については、また改めてご紹介できればと思います。
創業者・和明さんの「地域や困っている人のために」という熱い志、それを実務として支えた泰子さんの誠実さ、そしてそれを次の時代に合った形へと発展させた美和さんの愛の経営改革。三代にわたるこの物語こそが、「お帰りなさい」の一言に込められた本当の意味だったのだと、今は理解しています。
次回は、日本全体の高齢者数、老人ホームの入居者数、看取りの実態(自宅・介護施設・病院)、そして私たち夫婦のように「元気なうちから老人ホームに入居する」という選択をする人がどれくらいいるのか、そうした数字の面から調べてみたいと思います。『「日本の高齢者人口」と「老人ホーム入居率」公式統計データで見る⑨』興味のある方はご覧ください。

コメント