はじめに
みなさま、こんにちは♪
佐賀県の観光に「吉野ヶ里遺跡」を選びました。
20年ほど前に来たことがありますが、正直なところ何があったのかすっかり忘れてしまいました。
夫は初めてなので「ぜひ行ってみたい」とのこと。
どうせなら、最低限の予備知識を入れてから見学したいと思い、次の6点を中心に調べてから出かけました。
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吉野ヶ里遺跡の全体像を知りたいなぁ?
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吉野ヶ里遺跡は邪馬台国だったのかなぁ?
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どこがすごいの? 吉野ヶ里の歴史が知りたい
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吉野ヶ里遺跡の見どころは?
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2〜3時間で回る効率的な見学方法は?
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古代食は美味しいのかな?
前日は「九州国立博物館」で弥生時代の甕棺などを見学しました。
今回は、実際の遺跡の中に身を置いて体感できるので、とても楽しみです。
事前に少し調べておくと、現地での感動が何倍にも膨らむと感じました。
もちろん、何も知らずに先入観なしで驚く旅も素晴らしいのですが…(^^)

▲主祭殿の中層階で政治を行う
吉野ヶ里遺跡の全体像を知りたいなぁ?
「吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)」は、佐賀県神埼市と吉野ヶ里町にまたがる、**全長約2.5kmの壕に囲まれた日本最大級の弥生時代の「環壕集落跡」**です。
弥生時代(紀元前5世紀〜紀元3世紀頃まで約700年間続いた)すべての時期の住居跡、高床式倉庫群跡、3,000基を超える甕棺墓(かめかんぼ)、弥生中期の王の墓と考えられる墳丘墓(ふんきゅうぼ)などが発掘されています。
平成元年に一般公開された際には、中国の史書『魏志倭人伝』に記された邪馬台国の姿を彷彿させるとして大きな話題になりました。

▲司祭者の神がかりの様子
大陸から朝鮮半島経由で伝わった米作り文化や青銅器・鉄器文化を取り入れたムラが、クニの中核集落へ発展していく姿をたどることができる貴重な遺跡として、現在は国の特別史跡に指定されています。
平成13年4月にオープンした「吉野ヶ里歴史公園」は、遺跡の保存と活用を目的に整備されました。
計画面積117haの広大な敷地に、物見櫓や竪穴住居など98棟の建物、集落を囲む環壕・城柵が復元され、最も栄えた3世紀ごろの様子が再現されています。
弥生時代の雰囲気を全身で味わえる空間です。

▲主祭殿の高層階では祭祀が行われた
吉野ヶ里遺跡は邪馬台国だったのかなぁ?
発掘当初は「邪馬台国そのものでは?」と大きく報道され、「九州王朝説」なども語られました。
現在では、
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邪馬台国だったという決定的な証拠は見つかっていない
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九州北部にあった複数の有力なクニの一つと考えられる
というのが主流の見方のようです。
「吉野ヶ里歴史公園の弥生Q&A」では、次のように説明されています。
吉野ヶ里が邪馬台国だったという証拠は見つかっていません。
ただ、魏志倭人伝に記された邪馬台国の様子とそっくりな建物跡などが見つかっており、復元された建物などを通して邪馬台国の様子を感じることができる、という意味では、邪馬台国のイメージに近い遺跡だと言えるでしょう。
物見櫓、高床倉庫、幾重にもめぐらされた環壕など、『魏志倭人伝』の記述を思わせる施設が多数見つかっていますが、邪馬台国そのものかどうかは不明とのこと。
ただ、弥生時代の全時期を通しての日本最大の環壕遺跡を、ここで一度に見学できることは、古代の倭国、邪馬台国、卑弥呼を学ぶうえでとても貴重だと感じました。

▲管玉のある甕棺
どこがすごいの? 吉野ヶ里の歴史が知りたい
吉野ヶ里遺跡に人々が住んでいたのは、弥生時代の全時期にわたります。
簡単に流れを整理しておきます。
縄文時代
北には1000m級の背振山が防壁となり、南には温暖な丘陵と平野、そして有明海。
干満差の大きな有明海と、筑後川などの河川による水運、豊富な魚介や貝・カニなど、人が定住する条件に恵まれた土地でした。
弥生時代前期(紀元前5〜前2世紀頃/環壕2ha)
吉野ヶ里の丘陵一帯に、分散した小さな「ムラ」が生まれます。
やがて南側の一画に環壕を持つ集落が出現し、「ムラ」から「クニ」の中心へと発展していきます。
弥生時代中期(紀元前2〜紀元1世紀頃/環壕20ha)
丘陵南側を一周する大きな外環壕が掘られます。
首長を葬る墳丘墓や、たくさんの甕棺墓列が見られ、防御も一段と厳重に。
それだけ「争い」が激しかったことを物語っています。

▲実物の甕棺がずらりと並ぶ
弥生時代後期(紀元1〜3世紀頃/環壕40ha)
国内最大級の環壕集落へと発展。
大規模なV字型の外環壕に囲まれ、さらに特別な空間として北内郭・南内郭の二つの内郭が設けられます。
内郭には、祭殿や物見櫓など大型建物が登場し、吉野ヶ里遺跡は最盛期を迎えます。
甕棺の数などから推定される当時の人口は、
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壕の内側:およそ1,200人
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吉野ヶ里を中心としたクニ全体:およそ5,400人
だったと考えられています。
古墳時代へ
3世紀末〜4世紀初め頃、吉野ヶ里の集落は突然途絶えます。
戦乱が収まり、防御のための環壕や土塁、高地性集落の必要が薄れ、
人々は低地の湿地を水田に開拓し、生活の拠点を平野へ移していったようです。
個人が大きな権力と富を持つ古墳時代の社会へ移行し、
吉野ヶ里の弥生集落は役目を終えたのでしょう。
遺跡内の3基の前方後方墳は、弥生集落が消滅したあとに築かれたと考えられています。

▲北墳丘墓の遺構
吉野ヶ里遺跡の見どころは?
吉野ヶ里歴史公園の主な見どころを7つに絞ってご紹介します。
❶ 古代貝汁御膳(1,560円)
オリジナルの土器風食器でいただく「古代貝汁御膳」。
有明海産のあさりを使った貝汁や赤米のおにぎりで、古代食の雰囲気を味わえます。
❷ 南内郭|王の暮らしぶりがわかる
敵の見張りに使われた4棟の物見櫓と、11棟の竪穴住居・集会所など。
『魏志倭人伝』の楼観跡と考えられる物見やぐらは、高さ12m。
床高6.5mのやぐらから佐賀平野を見渡すと、弥生時代にタイムスリップしたような気持ちになります。
❸ 北内郭|吉野ヶ里の最重要地区
巨大な主祭殿と物見櫓が見どころ。
祭祀や政治が行われた場所で、二重の壕と高い柵に守られたもっとも神聖な区画です。
主祭殿の高層部は祭祀の場、中層部は支配層の政治集会の場。
内部に入ると、リアルな人形たちが古代中国ドラマのような緊迫感で会議をしており、思わず息を呑みました。
❹ 甕棺墓列|素焼きの棺が並ぶ
約600mにわたる世界的にも珍しい甕棺墓の列。
甕や壺を棺として用いる北部九州特有の埋葬で、出土状態がわかりやすく復元されています。

▲北墳丘墓の甕棺
❺ 北墳丘墓|歴代の王たちが眠る
歴代の王が葬られていたと思われる小高い丘。
芝生の丘の内部に半地下式の展示施設があり、発掘状況そのままの14基の甕棺を見ることができます。
ガラスの管玉や銅剣、朱が副葬されており、王墓としての格の高さが伝わってきました。
❻ 倉と市|国内外の品々が集まる交易拠点
吉野ヶ里の交易の中心地。
高床式倉庫が建ち並び、国内外の品々が行き交った「市」のにぎわいを想像できます。
❼ 南のムラ|一般庶民の住居群
一般の人々が暮らしたとされるエリアで、27棟の竪穴住居が復元されています。
のどかな雰囲気で、弥生時代の暮らしぶりが身近に感じられます。
併設の「弥生くらし館」では、勾玉づくりや火おこし、土器の復元作業などの体験もでき、子ども連れにも人気です。
見どころが非常に多いので、自分の「狙い」を絞って回るのがおすすめです。

▲南内郭の物見櫓
2〜3時間で見る効率的な見学方法は?
私たちシニア夫婦の「狙い」は、
「吉野ヶ里遺跡を直接見て体感したい」
というシンプルなもの。
体力と時間に限りがあるので、2〜3時間で回れるコースを受付で相談しました。
職員さんがとても親切に教えてくださり、最終的に次のコースに決定しました。
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歴史公園センター(東口)を徒歩で出発
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「南内郭」を見学
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「北内郭」を見学
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「北墳丘墓」を見学
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循環バスで「中のムラ」「倉と市」「南のムラ」を周遊
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歴史公園センターに戻る
このルートで、約2時間半で無理なく見学できました。
シニアでも十分歩ける距離です。

▲娘の髪をすく母親
園内は大きく4つのゾーンに分かれています。
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入口ゾーン
インフォメーション、展示室、レストランや売店など。 -
環壕集落ゾーン
主祭殿や物見櫓、竪穴住居など、弥生人の暮らしを体験できるメインエリア。 -
古代の原ゾーン
芝生広場や大型遊具、水辺、野外炊事コーナー、古代米の水田など。レクリエーション向き。 -
古代の森ゾーン
古代の森や官衙跡、キャンプ場などが計画されているエリア。
「弥生人の声が聞こえる」をテーマに、年間十数回のイベントが行われ、
古代体験プログラムも充実しているそうです。
今回は「遺跡体感」が目的だったので、古代の原ゾーンと古代の森ゾーンは次回のお楽しみにして、早めに切り上げました。

▲支配層の家族の竪穴住居
古代食は美味しいですか?
当時の人々はどんなものを食べていたのでしょうか。
弥生時代には、大陸や朝鮮半島から稲作文化が伝わりました。
それに加えて、さまざまな海の幸・山の幸を食べていたと考えられています。
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穀物:米、小麦、アワ、キビ、ヒエ、豆、瓜、ドングリ、クルミなど
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動物:イノシシ、シカ、クマ、タヌキ、イヌ、鶏 など
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魚介類:フナ、コイ、スズキ、アジ、サメ、ヤマトシジミ、カワニナ、オオタニシ など
有明海のカニやシャコ、ウナギも大いなるご馳走だったでしょう。
『魏志倭人伝』には倭人の食生活が
「倭の地は暖かく、冬も夏も生野菜を食べる」
「飲食は高坏を使い、手づかみで食べる」
「人々は生来酒が好き」
と記されています。
豊富な食材と酒好きの気質から、**現代と変わらない“食いしん坊の国”**だったのではないでしょうか。

▲有明の食材を実際に食べました!美味しい!!
古代貝汁御膳を味わう
博多駅(10:27発)から新幹線と長崎本線を乗り継ぎ、吉野ヶ里公園駅(11:06着)へ。
駅前の案内所にキャリーバッグを預け(200円で終日預かってくださいました)、タクシーで**吉野ヶ里歴史公園センター(東口)**へ向かいました。
東口にはレストランがあるので、見学前に早めの昼食をとることに。
事前から「古代貝汁御膳」をぜひ食べてみたいと思っていました。
正直、「不味くても勉強だ!」という覚悟も…(笑)

▲「古代貝汁御膳」1,560円
ところが、運ばれてきた御膳は期待以上。
有明海産のあさりがたっぷり入った貝汁は旨みが濃く、
有明海苔で包んだ赤米のおにぎりも甘みがあって絶品でした。
土器風のお椀は手触りが温かく、唇に当たる感覚もやさしくて、弥生人になった気分。
ムツゴロウの甘煮だけは夫に譲りましたが、貝汁は私がきれいに完食しました。
古代食・完食バンザイ\(^o^)/

▲小雨降る吉野ヶ里公園駅
吉野ヶ里公園駅に到着する(体験談)
駅にはコインロッカーがなかったものの、案内所で格安に預かってもらえて一安心。
レンタサイクルもありましたが、私は自転車に乗れないのでタクシーを利用しました。
運転手さんに「東口・西口・北口のどこから入るのがいいですか?」と尋ねると、
「遺跡を楽しみたいなら、メインゲートの東口が一番ですよ」
とのこと。素直に東口を選びました。
東口のレストランは清潔で、ホール担当の年配の男性のきびきびした姿に、シニア雇用の理想像を見たようで、心温まるひとときでした。

▲マスコットが笑顔で迎えてくれました
「東口」の入場ゲートを入る
食後、入場券売り場でチケットを購入。
大人460円のところ、65歳以上は200円とシニアに優しい料金です。
パンフレットと地図をいただき、大きな「天の浮橋」を渡って環壕集落ゾーンへ。
この頃から小雨が降り出しましたが、炎天下よりは涼しくて助かりました。
受付では、
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南内郭 → 北内郭 → 北墳丘墓 → (バスで)中のムラ → 倉と市 → 南のムラ
の順で回るコースをおすすめされました。
私たちもこの順番で歩くことにしました。

▲王の暮らしぶりがわかる南内郭
防衛の拠点と王の住居「南内郭」
南内郭には、敵の見張りに使われた4棟の物見櫓と、11棟の竪穴住居や集会所があります。
『魏志倭人伝』に記された楼観と考えられる物見櫓跡です。
復元された物見櫓は高さ12m。
上に登ると、佐賀平野と周囲の山々が一望でき、
「ここで本当に外敵を見張っていたのだろうなあ」と想像がふくらみました。

▲甕棺の中の遺骨
近くの展示室には、銅剣や青銅器の鋳型、甕棺や土器、石包丁や矢じりなどが展示されています。
甕棺の中に矢じりが刺さったような遺骨もあり、当時の戦いの激しさがリアルに伝わってきました。

▲王様と家族の住まい
住居跡からは麻や絹の布片も見つかっており、身分によって衣服の素材や形が違っていたことがわかります。
上層の人の衣装はツーピース、一般の人はワンピース。
沓のような履き物も出土しているそうです。

▲上層はツーピース、一般はワンピース
絹を縫製する技術がすでにあったことに、思わず「すごい!」と声が出ました。
復元された竪穴住居の中には、炉跡やベッド状の遺構、人形が配置されていて、とてもリアル。
最初に一人で入ったときは、思わずゾクッとしてしまいました。

▲北内郭の門と主祭殿
吉野ヶ里の最重要地区「北内郭」
南内郭が王たちの住居だとすれば、北内郭は祭祀と政治の中心地。
巨大な主祭殿は、祭祀や政治が行われる場所でした。
二重の壕と高い柵、鍵形に折れた入口(虎口)が防御力の高さを物語っています。

▲中層階は政治の場であった
外から見ると素朴な建物ですが、ガイドさんにすすめられて中層階へ上がってみると、
そこには王を中心に数十人の人形が並び、緊迫した表情で会議をしていました。
まるで古代中国の歴史ドラマの一場面のよう。
私もその場に同席しているような気持ちになりました。

▲高層階で祭祀が行われた
「祭り」と「政治」が一体となった祭政一致の様子が、肌で感じられました。

▲土器で作った甕棺墓列
歴代の王たちが眠る「北墳丘墓」
北内郭の北側には、祖先の墓とされる北墳丘墓があります。
司祭者は主祭殿から北墳丘墓に向かって祈りを捧げ、神託を仰いでいたのでしょう。

▲北墳丘墓の内部一面です
小高い丘の内部に造られた展示棟へ入ると、そこには14基の甕棺が静かに並んでいました。
ガラス管玉や銅剣、朱丹などの副葬品が豪華で、王墓としての格の高さが一目でわかります。

▲管玉は1基から出土
特に、コバルトブルーに輝くガラス管玉79個を副葬した甕棺は圧巻でした。
全国の他の遺跡を圧倒する豪華さだそうです。

▲甕棺の内部
私は以前、夫の実家の土葬のお墓の改葬を経験したことがあり、
20数体分の遺骨を新しい墓に移したことがあります。
その経験のおかげでしょうか、甕棺や骨を見ても恐怖心はなく、
「人が人を大切に埋葬してきた歴史」を静かに受け止めることができました。

▲甕棺がリアルに存在します
バスで「倉と市」「南のムラ」を周遊
北墳丘墓のすぐ横のバス停から、園内循環バスに乗車。
20分ごとに運行されていて、園内が広い吉野ヶ里ではとても便利です。
車窓からは、最近再開された発掘現場(日吉神社跡)が見えました。
まだまだこの地には、埋もれた歴史が眠っているのだと実感します。

▲新しい発掘現場(日吉神社跡)
「倉と市」では、国内外の品々が取り引きされていた高床倉庫群を眺め、
「南のムラ」では、庶民の暮らしぶりを想像しました。
今回は雨脚が強くなってきたこともあり、バスからの見学にとどめましたが、
次回はじっくり歩いて回りたいと思います。

▲銅剣は8基から出土
弥生人の寿命は何歳くらい?
遺跡を歩きながらふと気になったのが、「弥生人の平均寿命」。
資料によると、栄養状態や医療環境の違いから、平均すると40歳に届かないと考えられているそうです。
吉野ヶ里の甕棺の約4割が子ども用だったという話を聞き、胸が痛みました。
それに比べ、いま「人生100年時代」と言われる現代。
治乱興亡をくぐり抜けてきた人類の歴史を思うと、
私たちがこうして豊かに旅を楽しめること自体、ありがたいことだと感じました。

▲吉野ヶ里遺跡の食堂でいただいた紅茶と抹茶羊羹
旅を終えて
バスで東口に戻り、展示室や売店、お庭の花々を眺めてからタクシーで吉野ヶ里公園駅へ。
預けていたキャリーバッグを受け取り、次の目的地・肥前大浦(15:01発)へ向かいました。
吉野ヶ里公園駅の滞在時間は、11:06着〜15:01発の約4時間弱。
短い時間でしたが、弥生時代への大きな学びを得た一日となりました。

▲雨の靄に包まれる主祭殿
まとめ
福岡・佐賀旅行で計画した「吉野ヶ里遺跡」見学。
ほとんど知識のない状態から、次の6点を中心に予習し、現地で体感しました。
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吉野ヶ里遺跡の全体像
日本最大規模の環壕集落跡で、弥生時代全期の住居跡や甕棺墓、墳丘墓が発掘され、特別史跡に指定。 -
邪馬台国との関係
邪馬台国であった証拠はないものの、『魏志倭人伝』の描写と通じる部分が多く、邪馬台国イメージに近い遺跡。 -
吉野ヶ里の歴史
縄文の定住から、ムラの誕生、クニへの発展、国内最大級の環壕集落、そして平野への移住と集落の消滅まで、弥生〜古墳への流れを一望できる。 -
見どころ7選
古代貝汁御膳、南内郭、北内郭、甕棺墓列、北墳丘墓、倉と市、南のムラ。目的に合わせて「狙い」を絞って回るのがおすすめ。 -
2〜3時間で回る効率的コース
東口出発 → 南内郭 → 北内郭 → 北墳丘墓 → バスで「中のムラ」「倉と市」「南のムラ」→ 東口に戻るルートで、シニアでも2時間半ほど。 -
古代食は美味しい?
多彩な海の幸・山の幸・雑穀に恵まれた弥生人の食生活。
有明産あさりと赤米のおにぎりを使った「古代貝汁御膳」は、現代人の私たちにも「絶品!」と感じる味わいでした。

▲吉野ヶ里公園の前庭に咲いていました
弥生時代のムラからクニへ、農業革命から現代の情報革命へ。
人間の生き方や感情は、古代も現代も大きくは変わらないのではないか──
吉野ヶ里遺跡で、そんなことを思いました。
古代遺跡を発掘し、保存し、私たちが学べるよう整備してくださったすべての方々に、心から感謝いたします。
私は、6/20〜23まで、「福岡・佐賀」を旅しました。
「九州国立博物館見どころ【体験談】アジア史的観点から日本文化を見る」
また、5/23〜25まで、「沖縄」を旅しました。
「沖縄県立博物館の見学【シニア夫婦体験談】旅人として歴史観を深める」
を記しましたので、興味のある方はご覧ください。
皆さまの旅のご参考になれば幸いです。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
See you(^^♪


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