みなさま、こんにちは(^^♪
私は、テレビなどでフグの薄い刺身を、美味しそうに食べる俳優などを見て羨ましく思いました。
私も、有田焼の美しい大皿に、整然と並んだ白い花びらのような「ふぐ刺し」を、ネギや薬味に絡めてポン酢風のタレに付けて豪快に食べてみたかったのです。
家事や育児に忙しくまだ一度も、本格的な「フグの薄造り」を食べるチャンスが無かったからです。
夫に「フグ刺しを一度食べてみたい」と言いました。
ある日、夫が突然「下関を旅してふぐ刺しを食べに行こう」と言いました。
覚えていてくれたのです。
年末年始の、子どもや孫の帰省の世話が終わってから行くことにしました。
フグ料理は、冬季が旬だそうです。
下関のフグ料理で、最も有名な「春帆楼」を予約してくれました。
初めてなので「フグ料理」のことを少し知って行きたいと思いました。
このような疑問が湧きましたので調べてみました。

▲春帆楼のふぐ料理コースの前菜
❶ふぐ料理の特徴は?
太古の中国や、日本の縄文時代から「ふぐ料理」は人々に愛されてきました。
食通の北大路魯山人が「ふぐの代用になる美食は私の知る限りこの世の中にはない」と言ったそうです。
そのくらいフグは一見淡白な味わいですが、調理法により奥深い味わいを醸し出し、古今の美食家たちを虜にしました。
ふぐ料理の種類には、ふぐ刺し、ふぐちり鍋、ふぐ炭火焼、ふぐ唐揚げ、ふぐ白子焼き、ふぐひれ酒、ふぐ白子酒、ふぐ雑炊、ふぐ寿司、焼きふぐ白子寿司などがあるそうです。
ふぐ刺しの薄造りの特徴は、目利きして選んだふぐを旨味と歯応えが最良になる瞬間まで、ふぐの身を寝かせます。
そして有田焼皿などの紋様が透けて見える程薄く、先端を立たせ、菊花に見立て盛付けます。
主役の素材のふぐの味を引き出し、料理品の形状も、色や形の調和した器や、趣深い食堂の空間も、食の王道を極めた総合芸術と言われます。

▲伊藤博文の縁で「ふぐ料理公許第一号」になった碑文
❷ふぐ料理は安全ですか?
2千3百年前の中国の地理書に「ふぐを食べると死ぬ」との記載があります。
文禄・慶長の役(朝鮮出兵)に、九州に集結した武士の間で、ふぐ中毒で死亡するものが相次ぎました。
このため豊臣秀吉が「河豚食禁止の令」を発布しました。
厳しいふぐ食の取締りが行われていたため、ふぐが一般的に食べられるようになったのは明治時代に入って春帆楼で伊藤博文がふぐを食し、ふぐ食が解禁されて以降となります。
肝臓やマコや内臓などに猛毒(テトロドトキシン)があると言われ、フグ料理の調理には都道府県知事の「ふぐ調理師免許」が入ります。
今でも年に数人が亡くなりますが、ふぐ調理師ではなく、家庭料理などの原因が多いそうです。
気をつけたいものです。

▲「海峡ゆめタワー」と下関市街
❸なぜ下関のフグ料理が有名ですか?
もともとふぐは周防灘、玄界灘、豊後水道、五島列島、済州島、黄海、日本海などでよく獲れる魚です。
好漁場の多い下関では、ふぐ食の長い歴史の中で、有毒部分を取り除く「身欠き」の技術が発達しました。「下関にあがって初めて“ふぐ”になる」といわれました。
ふぐのなかでも最上と言われるのが、内海産の中型の「天然とらふぐ」です。
春帆楼の「天然とらふぐ」は、南風泊市場などの上質のものを厳選して調理しています。
この市場は下関市にあり、全国唯一のふぐ専門市場であり、全国の水揚げされたフグの過半数はここで除毒されセリにかけられます。

▲下関では「ふぐ」を「ふく」と言います
❹春帆楼のフグ料理はなぜ有名ですか?
春帆楼のある阿弥陀寺(現在の赤間神宮)一帯は、倒幕を目指す長州藩の拠点でした。
志を共にした高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、伊藤九三(坂本龍馬を支援した豪商)、藤野玄洋(豊前中津から来た従軍医)などが行動し、奇兵隊の本拠地(阿弥陀寺の方丈)の跡地に建ったのが春帆楼(前身は月波楼)です。
伊藤博文は、亡くなった玄洋の妻・ミチに割烹旅館の開業を勧め、「春帆楼」の名付け親にもなります。
明治21年に「ふぐ料理公許第一号店」に指定されました。
明治28年に「日清講和条約締結会場」となり、時の全権・伊藤博文や陸奥宗光等が、清国使節・李鴻章等と会見し、日清戦争の講和条約である下関条約を締結しました。
昭和33年と38年には昭和天皇皇后陛下御宿泊され、皇太子・皇太子妃両殿下(現上皇・上皇后両殿下)、三笠宮寛仁親王、秋篠宮殿下(現皇嗣殿下)も、ご宿泊されました。
水産の町、下関が大時化で魚が取れない中、ミチが打首覚悟で伊藤博文に「フグ料理」を出したことにより、フグ料理が全国で解禁され「ふぐ料理公許第一号」の栄に浴したことを誇りに、下関から古今の食通を唸らせてきた味覚の王者「フグ料理」の食文化を発信しておられます。
また地政学的かつ必然的な歴史と伝統の証言者として、未来に受け継ぎたいと志を宣言しておられます。

▲風格ある春帆楼の正面玄関
春帆楼に着く(体験談)
新幹線を新下関駅で下車して、タクシーで15分ほどで「春帆楼」に着きました。
あいにく小雨日和でしたが、一月にも関わらず温かい空気を感じました。
正面玄関は“下関の迎賓館”と言われるだけあって風格のある建物でした。
玄関ホールの調度品も歴史を感じる趣深いものでした。
フロントで名前を告げますと、エレベーターまで案内してくださり、登ると三階で案内の女性が迎えてくださいました。

▲全室から波が渦巻く下関海峡が見渡せます
お部屋は全てオーシャンビューの造りになり、関門海峡の壮大な流れに引き込まれました。
明治維新の表舞台として長州藩の志士と坂本龍馬、西郷隆盛などの交流を思うと気宇壮大な気持ちになりました。

▲春帆楼3階の窓からの馬関海峡の歴史を眺める
吉田松陰、桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作などの憂国の志士たちの息吹に思いを馳せました。
また伊藤博文など歴代総理を生み、「海賊になった男達」で有名な出光興産創業者や、大洋漁業(ホエールズ)などの活躍した土地柄に感慨深い気持ちになりました。

▲和の趣漂う墨絵の掛け軸
ランチコースの部屋に入る
通された食事部屋は、宿泊部屋でもありトイレと風呂付きで、床には書が掛けてあり深い趣がありました。
夫は、最初はネットで宿泊予約を取っていました。
天皇陛下も留られ、奇兵隊の息づくところで宿泊してみたかったようです。
しかし、夕食の献立の多さに高齢者夫婦では全て食べられないと思ったようです。
肥前大浦の「蟹料理」のフルコースでは、お腹がいっぱいで「蟹雑炊」が食べられなかったからです。
ネットで継続して調べたら、ランチがあり熟慮の末、こちらに変えました。

▲シニアの食量にちょうど良いランチ
ランチコースには、「ふく会席B、12,100円、人気No.1、ネット予約可」と書いてありました。
次に「ふく会席A、9,680円、電話連絡必要」とあり、よく調べると献立が数品少なく、私どものお腹の容量にちょうど良い感じでしたので、電話で予約しました。
希望日と希望時間も一致しました。
結果的に「食事量は最適」でとても満足しました。

▲献立表は歴史の重みを感じました
「御献立」の用紙はとても凝ったものでした。
表は、濃い紫灰色地に銀の海峡の波をあしらい、金字で「下関春帆楼」、「明治21年・ふく料理公許第一号指定、明治28年・日清講和条約締結会場、昭和33&38年・昭和天皇皇后陛下ご宿泊」と記してありました。
中の右上は家紋のような透かし彫り、左下は春帆楼の淡い写真があり、献立は11種類で黒木浩史料理長の印鑑と当日の日付があり、記念日が明確な証明書のようなものでした。
金額が張ると思われますので、往事の繁栄が偲ばれます。

▲黄色の器に鯛わた、黒い器に薬味入りポン酢が入っています
「鯛わた、五種盛り、ふく真丈、清まし仕立て」をいただく
最初は「光付け:鯛わた、前菜:五種盛り、お椀:ふく真丈 清まし仕立て」が運ばれました。
先付料理「鯛わた」は、古くからの春帆楼伝統料理だそうです。
飲み物は、生ビール、獺祭二割三部、ひれ酒などがお勧めです。
山口の銘酒である獺祭の「磨き二割三部」は、酒造の好適米「山田錦」を精米したお酒として日本最高峰クラスと言われています。
ふぐひれ酒は、春帆楼のふぐ職人が1枚々々丁寧に捌き、掃除し、天日で十分に乾燥させ、こんがりと焼き上げた「とらふぐのひれ」を使用しています。
夫は前回来た時に「獺祭」と「ひれ酒」を飲んだそうですが、今回は禁酒(医師から)のため「アサヒのノンアルコール」をいただきました。

▲豪快な包丁さばきのふぐ刺しの薄造り一人前です
「ふく刺しの薄造り」をいただく
次に「向付:ふく薄造り ポン酢薬味一式」が来ました。
いよいよ人生初の、本格的ふぐ刺しをいただきます。
最初にカボスを、握りつぶしながら全体にかけました。
刺身を箸ですくって、薬味のもみじおろしなどが入ったポン酢につけて口に入れました。
フグの甘味に、ポン酢の酸っぱ味が絡み合い、絶妙の旨みを感じました。
噛んでも切れないので、もしゃもしゃと噛みながら味を楽しみ飲み込みました。
ふぐの身は硬くて噛み切れないため、切り身が透けて見えるほど薄く切るのが特徴だそうです。

▲濃紺の皿に白菊紋様のふぐ刺しが映える
次に、刺身にネギを二、三本巻いてポン酢に付けて食べてみました。
ネギの辛味とポン酢とふぐ刺しの旨みが融合し、口中は極楽と化しました。
濃紺の盛り皿に、薄造りが花びらをあしらい、花弁にはフグの皮とネギが添えられています。
盛り方には、円形の大皿に「鶴盛り、菊盛り、孔雀盛り、牡丹盛り」などがあり、見た目も大いに楽しめるそうです。
次に、フグの皮をつまみ取り、ポン酢に付けて食べました。
コリコリして噛み切れ、別の食感を味わいました。
話は変わりますが、大阪ではフグのことを当たると死ぬので「テッポウ」と呼び、テッポウ刺しを略して「テッサ」とも言うそうです。
初めての本格的なコースの「テッサ」をいただき感無量でした。

▲香草に包まれたふぐの味覚がたまらない
「ふく香草焼き、ふく唐揚げ」をいただく
次に「焼き物:ふく香草焼き」が運ばれました。
パンとチーズが2種類ありました。
香り高い香草の風味を味わいながらフグ焼きを楽しみました。
西洋風のフグの味わいに新鮮味を強くしました。

▲こんな美味しいふぐは食べたことがない
いよいよ「揚げ物:ふく唐揚げ」が来ました。
夫が「とても美味しい」と言っておりました。
レモン汁を絞りかけました。
シシトウが2本と唐揚げが4個ほどありました。
アツアツの唐揚げを箸に取り、口に入れました。
ホカホカで塩味にレモンの酸味の中から、フグの淡白な中にホロ甘い旨みに虜になりました。
あっという間、手で掴んで4個をたいらげました。
まんぞく、マンゾクでした。

▲カリカリでふわぁ〜とした食感です
ふぐの味わいを消さないように薄めの味付けであり、表面をカリッと揚げた香ばしい唐揚げです。
フグの骨格は複雑な構造なので、ぜひ一つひとつ手に持って縦横無尽に食べると美味しいです。

▲ついに「てっちり」にありつける!
「てっちり、ふく茶碗蒸し、ふく皮サラダ」をいただく
次に「替鉢:ふくちり鍋」に火が付けられ、煮立ってきました。
このふぐちり鍋は、昆布の出し汁にフグの切り身や骨、トーフ、白菜、椎茸、しめじ、榎茸、春菊が入っていました。
安岡葱ともみじおろしなどの薬味が入った、だいだいポン酢につけていただきます。
最初に、何から食べようかと迷いましたが、アツアツのトーフからいただきました。
次に、ふくのしっぽ近くの身をいただきました。
あっさりとした上品な味でした。
ちょっと身が取れにくかったので、野菜から先にいただき、最後にフグの身と口や顎をいただきました。
特に、口ばし周りのゼラチン質など骨付き部位の味わいは、多くのファンから秀逸・絶品と言われているそうです。

▲フグの頭のゼラチンの食感は格別でした
昆布出汁で野菜と共に熱々のふぐを楽しめるちり鍋は、「てっちり」とも呼びます。
ちり鍋の語源は、白身を鍋にするとチリチリと身が縮むことからちり鍋と言います。
「てっちり」の語源は、前記しました鉄砲とちり鍋を合わせた言い方だそうです。

▲たまごに包まれたふぐは柔らかでした
次に「蒸物:ふく茶碗蒸し」が届きました。
茶碗蒸しの中にフグの身があり、上には麩が乗っていました。
茶碗蒸しの味を抑えて、フグの淡い上品な味を醸し出していました。

▲地元野菜に絡んだふぐ皮はスッキリ味でした
次に「止肴:ふく皮サラダ」が出ました。
いよいよご飯の前の止肴の、サラダ(ふぐ皮、ふぐ身、レタス、カイワレ大根)をいただきました。
ふぐ皮とカイワレのシャキシャキ感と苦味が一度にきて、今までの料理の旨みを一掃してくれました。
サッパリとした感じになり、次の料理に臨めます。

▲フグの旨みをご飯に絡めた秀逸品です
「ふく雑炊、香の物、デザートの盛り合わせ」をいただく
料理の〆の「御飯:ふく雑炊 香の物」を運んでいただきました。
ふぐ雑炊は、ふぐの身やアラから旨味をたっぷり取った出汁に、さらにふぐの身皮を加えて、一煮立ちしたところにサッと洗って、ぬめりをとった御飯を入れ、あっさりと仕上げるそうです。
ポン酢を少し加えて、レンゲで香の物と共にいただきました。
あっさりとした中にもふぐ特有の味が広がり、卵とネギと椎茸などと絡み絶妙の上品な味を醸し出す逸品でした。
また器が豪華な漆椀で、黒字に金銀をあしらい大名のような気分になりました。

▲デザートは別腹です、美味しい!
最後は「デザート:盛り合わせ」をいただきました。
少し酸っぱい蜜柑をいただき、甘酸っぱい林檎をいただき、淡い甘味の胡麻アイスをいただき満足、まんぞく、マンゾク!!でした。
サービスを担当してくださった方は、アラフォーの女性で、近くに住むベテランの方でした。
様々な質問をしましたが、丁寧に答えてくださり、長州人としての誇りをお持ちで、ミチさんの「おもてなし」の心を引き継いでおられました。
帰りにフロントで会計をしました。
一人当たり、お料理8,000円、飲み物600円、サービス料860円、消費税946円、合計10,406円です。
二人分で20,812円支払いました。
歴史的価値の高いご当地で、日本の最高峰のふぐ料理コースを食べて、天皇陛下ご宿泊の由緒ある割烹旅館の一室で、気の利いたサービスをされる女性がついて2時間貸し切り、二万円とは、なんとコスパが良いことでしょうか。
大都市では考えられない値段で、申し訳ないくらいの気持ちでした。
関係者の皆様に心からの御礼を申し上げます。

▲黄金色を感じる壮大な歴史を物語る建造物でした
春帆楼さんについて
春帆楼さんは提供される「ふぐ料理コース」を下記のように表現しておられます。
春帆楼のふぐ料理の特徴は、ふぐ刺し(てっさ)の「薄造り」にあります。
ふぐ一匹々々を目利きし、旨味と歯応えが最良になる瞬間までふぐの身を寝かせます。
有田焼皿などの模様が透けて見える程薄く、先端を立たせ、菊花に見立て盛付けます。
春帆楼伝統の先付料理「鯛わた」に続き、「薄造り」を最初に提供します。
昆布出汁で野菜と共に熱々のふぐを楽しめる「ちり鍋」(てっちり)が出ます。
外はカリッと中にふぐの旨味を凝縮させた「唐揚げ」を出します。
ふぐの出汁で作る〆の「雑炊」と、ふぐの醍醐味を余す所なく楽しめるのが、春帆楼の王道料理「とらふぐコース」です。

▲李鴻章が宿舎から会場に通った道です

▲春帆楼側から関門大橋を眺める(イメージ)
まとめ
私は本格的なふぐ料理を食べたいと思っていました。
夫が下関のフグ料理で、最も有名な「春帆楼」を予約してくれました。
初めてなので「フグ料理」のことを少し知って行きたいと思い調べてみました。
太古の中国や、日本の縄文時代から「ふぐ料理」は人々に愛されてきました。
フグは一見淡白な味わいですが、調理法により奥深い味わいを醸し出します。
ふぐ刺し、ふぐちり鍋、ふぐ唐揚げ、ふぐひれ酒、ふぐ雑炊などがあります。
朝鮮出兵の折り、ふぐ中毒で死亡者が出て、豊臣秀吉が「河豚食禁止の令」を出しました。
明治になってから、フグ調理には都道府県知事のふぐ調理師免許制度ができました。
年に数人が亡くなりますが、ふぐ調理師ではなく、家庭料理などの原因が多いそうです。
ふぐは周防灘、玄界灘、豊後水道、五島列島などでよく獲れる魚です。
下関では、長い歴史の中で、有毒部分を取り除く「身欠き」の技術が発達しました。
そして、ふぐ専門市場や料理店が栄え、大いに発展しました。
歴史的に有名な赤間神宮に隣接し、明治維新を成し遂げた志士たちの拠点であり、日清講和条約締結会場であり、天皇皇后陛下や皇室が御宿泊された由緒ある割烹旅館です。
大時化で魚が無い時に、伊藤総理から「魚を食いたい」と言われ、女将ミチは、打首覚悟で御禁制のフグ料理をおもてなししました。
そのことがご縁で、明治21年に「ふぐ料理公許第一号店」に指定されました。
このミチの「お客様のことを想う覚悟」が春帆楼には息づいていると言われております。

▲赤間神宮横の「耳なし芳一」を祀る像
私は「ふぐ料理」をいただくことで、当地の歴史を識り、長州の人々の息づかいと、「ふぐ料理」に込める「表なし」の心に深く感動しました。
遠くは安徳天皇、歴代の天皇様、皇室様に敬意を表し、明治維新を成し遂げた吉田松陰始め勤王の志士の皆様、伊藤閣下、李鴻章閣下、ミチ女将、下関のふぐの食文化を守る皆様、春帆楼の皆様に感謝を捧げます。
ありがとうございました。
この下関旅行の「総集編」として、『下関観光おすすめ【シニア夫婦体験】ふぐ料理・瓦そば1泊2日総集編』を書きました。
内容は、「スケジュール」「持ち物一覧」「旅行費用総額55,674円の明細」「観光地・食処の8体験談」を記しましたので、興味のあられる方はご覧ください。
シニア夫婦のアクシデントや失敗がありましたが満足な旅ができました。
ありがとうございました。
See you(^^♪
コメント