九州国立博物館見どころ【体験談】アジア史的観点から日本文化を見る

ユルバの芸術文化

みなさま、こんにちは♪

福岡の観光に「九州国立博物館」を選びました。

10年以上前に来ましたが、何があったかすっかり忘れてしまいました。

東京と奈良と京都の国立博物館は、数回ずつ行ったことがあります。

京都は今年の4月の「親鸞展」に行きました。

九博の見学について頭に浮かんだ、次の5点の疑問を知りたいと思いました。

◉九州国立博物館の特徴は何ですかねぇ?
◉東京・奈良・京都国立博物館とどう違うのですか?
◉コンセプト(基本理念)は何ですか?
◉具体的な見どころは何ですかねぇ?
◉巨大なのでシニアは歩く距離が長いのでは?

5月の沖縄旅行では「沖縄県立博物館・美術館」を見学しました。

とても分かりやすく楽しかったのです。

今でも陳列されていたものが眼に浮かんできます。

しかし、事前に「調べて」知っていることは、何倍も感動が多いと思いました。

もちろん、何も知らずに先入観なしで見て驚くことも素晴らしいと思います。

▲アジア史的観点から!

九州国立博物館の特徴は何ですかねぇ?

「九州国立博物館」は、2005年(平成17年)10月16日に、太宰府天満宮裏の丘陵地に「歴史系博物館」として開館しました。

東京・奈良・京都国立博物館に次いで、108年ぶりに新設された国内4番目の国立博物館です。

近隣の山並みをイメージした曲線的な大屋根と、ダブルスキンガラスの外壁で覆われた巨大な建物であり、規模は国立博物館では最大級です。

九博は国が5、福岡県が4、九州国立博物館振興財団が1の比率で共同出資して建てられました。

開館後は、「独立行政法人国立文化財機構」と「福岡県立アジア文化交流センター」とが一体となって運営にあたっています。

愛称は、九博(きゅうはく)、または九国(きゅうこく)というそうです。

私は「きゅうはく」でいきます。

▲国宝 観世音寺の梵鐘

開館の経緯と来館者数

岡倉天心が、100年ほど前に九州にも国立級の博物館が必要であると言いました。

大宰府は、歴史的・地政的には「遠の朝廷」(とおのみかど)とよばれた古代史上の重要地であり、九州の統括と外国との交易・外交・防衛・文化交流の地でもありました。

地域の人々の長年にわたる誘致活動と、太宰府天満宮をはじめ関係各所の熱意で、願いは結実し開館の運びとなりました。

また人気ある特別展を多く開催し、2017年8月には来館者数が1,500万人を超え、年間100万人以上の来場がある施設となっています。

九州で最も初詣客が多い太宰府天満宮に隣接し、他の国立博物館とは異なり元日から開いています。

▲山並みを映す屋根フォルム

外観と規模

九博を最初に見て驚くのが、周囲の山々に溶け込み緩やかな曲線を描く博物館の巨大な外観です。

壁面はガラスに覆われているので、空や山の木々が映し出され、建物自体も角がなく山に似た曲線のため、周囲の森と共存し自然と一体化した建築美を醸し出しています。

敷地面積は旧天満宮社有地に建設され、約17万平方メートルです。

建物の延床面積は約3万平方メートルで、160m(横)×80m(縦)×36m(一番高い所)の長方形で、蒲鉾型という個性的なフォルムです。

国際競技の可能なサッカー場が、一面すっぽり入るほどの迫力のある建物であります。

展示室の面積は、4、3、1階合計約5800平方メートルと、東京国立博物館に次ぐ展示施設です。

国立博物館の中では最大の敷地面積があり、1つの建物としては30,085m2と最大の延床面積を持つ博物館であり、開館当時はこのことが話題となりました。

▲九州北部地方の土器(弥生時代)

東京・奈良・京都国立博物館とどう違うの?

東京・奈良・京都国立博物館は、100年以上の歴史をもつ「美術系博物館」です。

それに対し、九博は「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える博物館」を基本理念に持つ、「歴史系博物館」です。

日本文化が、古代からアジア地域との交流によって生まれた、その入り口である九州・太宰府です。

地理的・歴史的重要性を踏まえて、関わりの深いテーマを、旧石器時代から近世末期(開国)までの日本文化の形成を展示しています。

大宰府には、7世紀後半から12世紀後半にかけて500年間、「大宰府政庁」が置かれました。

古代律令制下(奈良・平安時代)を通じて、九州の政治と文化の中心で、東アジアとの外交、軍事の拠点として「遠の朝廷」と言われるほどの大きな権限を持つに至りました。

▲大野城と水城(現在の写真)

唐の都・長安を模した大宰府の規模は、平城京や平安京の都に次ぐもので、「西の都」としての国際都市を形成しました。

百済の都城を基に築かれた軍事拠点・大宰府が、防衛の最前線であることは、博多湾側に築かれた「水城」や、朝鮮式の山城である「大野城」などの軍事的遺構の実在が示しています。

百済に味方し、唐と新羅の連合軍に大敗した「白村江の戦い」の翌年に、水城が築かれたことを見ても明白です。

また東国から「防人」という兵士が太宰府に集結し、筑紫・壱岐・対馬の防衛にあたり、白村江の戦い以後は制度化されました。

太宰府に「九州国立博物館」が存在することは、他の「美術系博物館」ではなくて「歴史系博物館」であるという意味がよく理解できました。

▲大宰府政庁の模型と思われる

コンセプト(基本理念)は何ですか?

九博のコンセプトは、「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える博物館」、いわゆる「歴史系博物館」です。

コンセプトのもと、旧石器時代から徳川後期までの日本文化の形成について展示しています。

シルクロードが全盛期を迎えた8世紀から12世紀にかけて、日本とアジアを繋ぐ玄関口としての役割を果たした日本遺産・太宰府は日本文化に多大な影響を与えました。

九州・太宰府は、歴史的・地理的にアジアと深い関係を持っていることから、「アジア史的観点」という新しい文化的景観から捉えた日本文化の形成の実現に向け、面白く分かりやすい情報発信がなされています。

▲正装男子形埴輪

具体的な見どころは何ですか?

収蔵品

国宝4件、重要文化財42件を含む収蔵品の総数は1,279件です。

別に、1,300件の寄託品を収蔵しています。

国宝:紙本墨画淡彩「周茂叔愛蓮図」狩野正信筆(室町時代を代表する画家の傑作)

国宝:「栄花物語」(わが国最初の歴史物語)

国宝:太刀「銘来国光」(名工来国光の代表作で、明治天皇のお手元刀でもあった)

重要文化財:絹本著色「浄土曼荼羅図」

重要文化財:紙本墨画「布袋図」

重要文化財:紙本墨画「淡彩山水図」狩野正信筆

などです。

▲釈迦菩薩立像(2~3世紀)

常設展「文化交流展示室」

九博の顔であり見どころの「文化交流展示室」は、4階で常設展示されています。

季節に応じた展示と、作品保護の観点から月に30〜50点の文化財の展示替えを行い、常時800〜900点を展示しています。

また、特別なテーマを設定した「トピック展示」も開催されています。

旧石器時代から江戸時代末期までの日本の歴史を体系的に見せます。

何世紀にも渡って行われた、先人の国際交流がいかに日本文化を築き上げたかを、示唆に富んだ展示でわかりやすく紹介します。

▲壺形土器(弥生時代)

特別展「特別展示室」

九博の人気の高い見どころの「特別展」は、年に4回から5回、3階の「特別展示室」で開催しています。

特別展は毎年定期的に開催され、過去には「新・桃山展–大航海時代の日本美術」や「世界遺産ラスコー展」などが開催され大きな反響がありました。

本年(令和5年)は、「憧れの東洋陶磁」(7/11~9/3)、「古代メキシコ」(10/3~12/10)が開催されています。

▲「あじっぱ」体験展示室

「あじっぱ」

1階にある「あじっぱ」とは、アジアの原っぱのことです。

日本と交流のあった、アジアやヨーロッパの国々の文化を、五感で楽しむことができます。

カラフルなディスプレイや、各国の民族衣装や生活用品の展示、芸術や工作のアクティビティを楽しめます。

大人も子どもも、遊びながら学べる無料の体験型展示室です。

特徴としては、アジア諸地域との文化交流の歴史を中心に展示しています。

見るだけでなく、触れたり、嗅いだり、聞いたり、味見したり体感できる展示も九博の魅力ある見どころの一つです。

▲琵琶袋(遣唐使)

巨大なのでシニアには歩く距離が長いのでは?

九博は、博多駅から直通バスで約40分です。

西鉄電車で、福岡市の天神から二日市駅で乗り換えて、約35分で西鉄太宰府駅に着きます。

西鉄太宰府駅からは徒歩約10分、またはバスで訪れることができます。

太宰府天満宮の境内から右に曲がり、博物館入り口からエスカレーターで登ります。

ムービングサイドウォーク(動く歩道)をしばらくして通ります。

奥から宇宙人とか出てきそうな感じです。

赤、ピンク、青などに光った後、虹色になることから「虹のトンネル」と呼ばれています。

ここを抜けると、驚くような博物館の全景に出逢います。

受付まで暫く歩いて本館に入ります。

エスカレーターで3、4階の会場へ行き、観覧が始まります。

高齢者として一番きつかったのは、太宰府駅から博物館入り口までです。

シニアの健脚でない方は、タクシーを利用されることもお勧めします。

若い方々は、ぜんぜん大丈夫です。

▲虹の道を出ると巨大博物館を見る

九州国立博物館(九博)を体験する

西鉄天神駅(福岡市中心街)を出発し、二日市駅で乗り換え、太宰府駅に着きました。

太宰府天満宮でお参りして、帰りの参道を左に折れて九博の入り口に向かいました。

入り口に入ると、すぐにエスカレーターがあり、山の斜面を登ります。

動く歩道を通り、突然トンネルを出ると、巨大な九博の姿に驚きました。

一緒に上がったお年寄りの一群が「ウワー大きいね、ここを丹念に見るのはとても無理だ、サーっと行こうぜ!」と言っておられました。

結論的に「歩く距離」は、東京や京都の国立博物館と大差ないなと思いました。

奈良は小さいです。

本体に入り、入場券を求めましたが、私たちは免許証を出したら高齢者のため無料でした。

京都も沖縄博物館も70歳以上は無料です。

高齢者、複雑な気持ちで、ラッキー!!

▲エントランスホール

1階は、博物館の起点となるエントランスホール、講堂(ミュージアムホール)、ミュージアムショップ、アジア文化体験エリア「あじっぱ」、ティーラウンジ(6/20現在では休み)などがあります。

2階は、中央に大きく収蔵庫スペースをとり、それを囲むように学芸研究室、博物館科学研究室、文化財修復室、図書収蔵庫などがあります。

1階から、エスカレーターで3階に直接上がります。

3階には、特別展が行われる大、中、小三つの企画展示室があります。

3階からエスカレーターで、最上階の4階に登ります。

再度、入場口で免許証を見せて入ります。

日本語以外にも英語、中国語、韓国語の4カ国語に対応している無料の音声ガイドの説明を受けて、首にぶら下げました。

▲平常展の入り口に立ててある

文化交流展示室(平常展)に入る

4階には、「文化交流展示室」、いわゆる常設展に使われる展示室群があります。

全体のテーマは「海の道、アジアの路」です。

日本文化の形成を国内の視点からだけでなく、アジアの歴史的観点からとらえた幅広い展示を目ざしています。

中央の大空間(約1600平方メートル)を縄文時代から江戸時代に至るまでの交流の歴史をたどる基本展示室とし、その周囲に11の関連展示室を配して、テーマのさらなる深化を図ります。

私は、先ず中央の大空間を見て周り、休憩しながら、周囲の11の展示室を写真(フラッシュ無しの許可のある展示物)撮影しながら周りました。

やはり、シニアには体力が消耗しましたので、休憩を取りながら、興味のある展示物に集中する方が良いと思いました。

▲石包丁・横鍬・三又鍬(弥生時代)

展示は五つの小テーマに分かれています。

❶旧石器〜縄文時代「縄文人、海へ」
❷弥生〜古墳時代「稲づくりから国づくり」
❸飛鳥〜平安時代「遣唐使の時代」
❹鎌倉〜室町時代「アジアの海は日々これ交易」
❺安土・桃山〜江戸時代「丸くなった地球、近づく西洋」

それでは、これから観ていきます。

❶旧石器〜縄文時代

3万5千年前〜紀元前4世紀

小テーマ「縄文人、海へ」

旧石器から縄文時代における文化交流を、土器や石器などの力強い造形品により紹介されています。

▲力強い縄文土器

太い粘土紐で表現された様々な文様の中にヘビやトカゲとも思える動物風の文様が見られます。

なんと迫力のある重々しい土器でしょうか!

▲丸木舟(4千年前・滋賀県)

これは波の穏やかな琵琶湖から出土した、樅木製の小さくて船底の浅い丸木舟です。

海岸部の遺跡では、外洋に出るための船底の深く大きい船も出土します。

縄文人も海や湖を渡り交流した、その生命の息吹を体感し熱くなりました。

❷弥生〜古墳時代

紀元前4世紀〜紀元後7世紀

小テーマ「稲づくりから国づくり」

弥生時代に水田稲作が広まり集落ができ、その王たちは多くの貴重な品々を墓に納めました。

古墳時代に渡来した新しい焼き物や騎馬文化、宗像・沖の島への奉献品などが陳列されています。

▲王様の棺である甕棺の外側です

王様を埋葬した「甕棺」(かめかん)です。

甕棺にお供えされた、銅戈と朱塗り壺です。

▲王様の棺である甕棺の内側です

中央下に眠り姿の王様がおられます。

周囲に、銅矛、彩色された鏡、前漢の鏡、緑色ガラス製勾玉、管玉の首飾り、金銅製の四葉型金具などの副葬品がぎっしりと入っています。

ピーナツの形は不思議ですが、一つの甕棺に王様をお入れして、副葬品も入れて、もう一つの甕棺で蓋をして目張りするための粘土で封じたのではないでしょうか。

現代は、木の棺に愛用品やお花などを入れて荼毘にふします。

死者に対する埋葬者の敬虔な思いがヒシヒシと伝わってきます。

❸飛鳥〜平安時代

紀元後7世紀〜12世紀

小テーマ「遣唐使の時代」

中国大陸、朝鮮半島との交易によって唐から律令や仏教を受け入れ、古代国家が成熟していく様子を紹介します。

▲遣唐使の正装

遣唐使が儀式などで着用した朝服と装身具が陳列されています。

朝服は位によって色が異なるそうです。

小さく感じましたので、昔の人は小さかったと思いました。

▲唐三彩壺(唐時代7~8世紀)

唐三彩は、唐の副都でありシルクロードの主要都市の一つであった洛陽周辺で生産されました。

色彩豊かな唐三彩は、東西交易網に乗って広範囲に流通しました。

唐三彩は歴史的ロマンを感じる豊かな色彩を持ち大好きです。

ヤフオクで「唐三彩の馬」を求めて玄関に飾っています。

唐の都とシルクロードとインドと仏教伝来の神秘を感じる唐三彩です。

安かったので模造品と思います。

❹鎌倉〜室町時代

12世紀〜16世紀

小テーマ「アジアの海は日々これ交易」

モンゴルの襲来や海を越えた禅僧たちの交流、国際的な貿易商人たちの活動など、海を舞台に展開した時代の息吹が感じられます。

▲禾目天目茶碗(南宋時代・福建省)

元寇船のイカリの模型が奥に見えます。

手前の茶碗は、器全体に茶色や銀色がかった細かい縦筋状の斑点が無数にあらわれます。

日本では稲穂の先端にあるトゲのような芒(禾)に見立てて「禾目天目」と呼びます。

中国では兎の毛に見立てて「兎毫盞」と言います。

きっと禅僧たちは天目茶碗の名品を求めて茶の湯を広めたことと思います。

▲天正遣欧使節記(ローマ・1586年)

ローマ教皇シクストウス5世に仕えたグアルティエーリが、天正遣欧使節についてまとめた記録です。

使節の動向を知る上で最も信頼できる記録とされています。

使節団はローマ教皇や各地の諸侯に厚い歓迎を受けました。

世界は海の時代となり、1549年ザビエルはキリスト教を布教しました。

西日本を中心に広がりましたが、江戸時代の初期に禁教となり、1873年明治政府は信仰の自由を認めました。

海路を通して仏教やキリスト教が我が国にもたらされました。

アジアや欧州から海を越えて九州・太宰府にやってきた交易や宗教や文化の交流が、日本文化の形成に大きな影響を与えたことを、遺跡陳列品を観て体感して識ることができました。

❺安土・桃山〜江戸時代

16世紀〜19世紀

小テーマ「丸くなった地球、近づく西洋」

大航海時代のヨーロッパとの出会い、「四つの口」を通じた世界との交流と、多彩な江戸時代の文化を紹介します。

▲「四つの口」のパネル

江戸幕府は、キリスト教を禁じるためポルトガルやスペインなどのカトリック教国の関係は断ちました。

しかし「長崎・対馬・薩摩・松前」の四ヶ所では、アジア諸地域・諸民族との交流は盛んに行なっていました。

①長崎は、中国・オランダ商人との関係
②対馬藩は朝鮮との関係
③薩摩藩を通じた琉球との関係
④松前藩を通じたアイヌとの関係

このルートを「四つの口」と言いました。

▲豪華絢爛な焼き物も四つの口から輸出される

「四つの口」から入った海外のモノ、情報は国内で流通消費され、日本から銅、海産物、美術工芸品などが輸出されました。

幕末、1854年日米和親条約締結を皮切りに、各国と条約を結び「鎖国」も「四つの口」も終わりました。

四つの口の、三つが九州の存在し、その入り口となったことを思いますと、欧州、インド、大陸、半島に近い九州(当時の中心地の太宰府)から日本文化の形成を見つめることは、大変重要な視点であると思いました。

11室の関連展示室を巡回して帰途につく

4階の「文化交流展示室」を全て観てまわり、感動と共にくたびれてしまいました。

少し、ソファに座って休みました。

周囲の11室の展示室の写真を撮りながら周りました。

出口の大宰府政庁の模型や、大野城、水城のパネルなどを観察しました。

帰りながら3階の特別展の横を通ってエスカレーターで一階に降りました。

学生さんたちが沢山並んで見学にきました。

私たちは次の目的地に向かい、九博を後にしました。

▲7/11~9/3特別展「憧れの東洋陶磁」の看板

まとめ

私は、「九州国立博物館」に観光に行くことになりました。

しかし、福岡の美味しい食事は楽しみですが、九博のことを殆ど知りませんでした。

最低限の、下記の5点の疑問を知って見学したいと思いました。

◉九州国立博物館の特徴は何ですかねぇ?

「九州国立博物館」は、2005年(平成17年)に、太宰府天満宮裏の丘陵地に開館しました。

東京・奈良・京都国立博物館に次いで、108年ぶりに新設された国内4番目の国立博物館です。

市民の熱烈な願いと、太宰府天満宮や関係各所の強力な後押しで実現した国立博物館です。

また来館者数は年間100万人以上の博物館となっています。

▲金銅製頭椎太刀(宮地嶽古墳)

◉東京・奈良・京都国立博物館とどう違うのですか?

東京・奈良・京都国立博物館は、100年以上の歴史をもつ「美術系博物館」です。

それに対し、九博は「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える博物館」を基本理念に持つ、「歴史系博物館」です。

九博のある大宰府は、歴史的・地政的には「遠の朝廷」とよばれた古代史上の重要地でありました。

九州の統括と外国との交易・外交・防衛・文化交流の中心地でもあり、「西の都」と呼ばれました。

日本文化が、古代からアジア地域との交流によって生まれた、その入り口である九州・太宰府から情報が発信される博物館です。

◉コンセプト(基本理念)は何ですか?

九博のコンセプトは、「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える博物館」です。

シルクロードが全盛期を迎えた8世紀から12世紀にかけて、日本とアジア並びに世界を繋ぐ玄関口としての役割を果たした日本遺産・太宰府は日本文化に多大な影響を及ぼしました。

九州・太宰府は、アジアと深い関係を持っていることから、「アジア史的観点」という、新しい文化的景観から捉えた日本文化の形成の実現について、分かりやすく面白く情報発信がなされています。

▲八区袈裟襷文銅鐸(弥生時代)

◉具体的な見どころは何ですかねぇ?

収蔵品は、国宝4件、重要文化財42件を含む収蔵品の総数は1,279件です。

九博の顔であり見どころの「文化交流展示室」は、4階で常設展示されています。

関わりの深いテーマを、旧石器時代から近世末期(開国)までの日本文化の形成を展示しています。

また、九博の人気の高い見どころの「特別展」は、年に4回から5回、3階の「特別展示室」で開催しています。

1階にある「あじっぱ」とは、アジアの原っぱのことで、日本と交流のあった、アジアやヨーロッパの国々の文化を、五感で楽しむことができます。

◉巨大なのでシニアは歩く距離が長いのでは?

エスカレーターと動く歩道が要所にあり、巨大な建物の割に歩くところは他の博物館と大差ありません。

高齢者として一番きつかったのは、暑い中を太宰府駅から博物館入り口まで10分ほど歩くことです。

シニアの健脚でない方は、タクシーを利用されることもお勧めします。

▲中広形銅矛(弥生時代)

九州国立博物館は、「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える博物館」をコンセプトに持つ、「歴史系博物館」であることが分かりました。

私は内なる日本から「日本文化の形成」を見つめてきましたが、アジア史的観点から「日本文化の形成」を見つめることの大切さに気づきました。

両方が重要であり大切なことだと思います。

また東アジアの現状を思うとき、今日的課題であると思います。

まずは、九州・大宰府に身を置いて、同じ空気を吸い、触れて体感して考えることが大切であると思います。

テーマごとに、時系列に整理して、学校より面白く、教科書よりも分かりやすく陳列し、ガイドの案内を充実してくださいましたことに感謝します。

先人のご苦労と知恵に学ばせていただき、一人も取り残さない「人類の平和と繁栄」を、次の世代に引き継いで行きたいと思いました。

九州国立博物館に関係する全ての皆様に感謝いたします。

▲古代の船を模している展示

私は、6/20〜23まで、「福岡・佐賀」を旅しました。

太宰府天満宮見どころ【シニア夫婦体験談】学業成就お守り・梅ヶ枝餅

また、5/23〜25まで、「沖縄」を旅しました。

沖縄県立博物館の見学【シニア夫婦体験談】旅人として歴史観を深める

上記をBLOGしましたので、興味のある方はご覧ください。

皆様の旅のご参考になれば幸いです。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

See you(^^♪

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ユルバ

みなさま、こんにちは、はじめまして♪
わたしは、地方都市に住んでいる60代後半の主婦で、ユルバと申します。
子どもたちは独立し、夫と二人暮らしです。
自宅を「終のすみか」にリフォームし、それなりに満足のいくリフォームができました。
ネット検索をしたら業者さんの記事がほとんどで、施主さんの生のリアルな声が少なかったです。
その教訓から、シニアの主婦目線のリフォームの体験談をblogしたいと思い立ちました。
また好きな旅行なども同じ気持ちで書きました。
失敗やハプニングの連続でしたが、みなさまのご参考になれば幸いです。
よろしくお願いいたします(^^♪

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